太田三郎『欧洲婦人風俗』を読む(下の3・最終回)
今回が最終回である。
太田三郎の『欧洲婦人風俗』は、太田が渡欧した際に見聞した女性の衣装について、6枚の三色版による図版と、解説文によって示した小冊子である。
版元の婦女界社は、『婦女界』という女性雑誌を発行していた。雑誌『婦女界』の何らかの懸賞当選を記念する冊子であった可能性が高い。
1 カンパニアの野で
6枚目の絵の題は《ローマの夕》である。
解説文は次のように、まず、ローマのカンパニアの野について記している。
「鴎外さんの「即興詩人」」とあるが、森鷗外のアンデルセンの『即興詩人』の翻訳を指している。母を喪い孤児となったアントニオの数奇な運命を描いた作品である。
ストーリーを含めた詳しい内容を知りたい方は、下記の過去記事を参照されたい。
また、太田三郎は、『ハガキ文学』に連載した「近古小説十二題」で『即興詩人』を取り上げている。
下記の過去記事を参照されたい。
カンパニアはイタリアの南部の州で、ティレニア海に面している。『即興詩人』では、孤児となったアントニオは、カンパニアの野に棲むゆかりのある夫婦に預けられて育てられた。
太田はそのカンパニアの野に立って、自然の中に遺されている水道遺跡や、古街道の石畳から、いにしえのローマの繁栄を想像するのであった。
「迫持」は、日本語では「せりもち」とよみ、重さを支えるためにアーチをなす石のことをいう。
「迫持の連亘」とはアーチ型の石組みがずっと続いていることを示している。
『クオ・ヴァディス』(1896年刊)は、ネロ皇帝治下のローマを舞台に、ローマの将校ウィキニウスがさまざまな苦難を超えてキリスト教に改宗するまでを描いた歴史小説。タイトルはラテン語Quo vadisで「どこへ行くのですか」という意味で、使徒ペトロがイエスに尋ねたときのことばからとられている。明治大正期によく読まれた。
「センキウイッチ」とは、作者のポーランドの小説家ヘンリク・シェンキエヴィチHenryk Sienkiewicz(1846−1916)のことである。
羊飼いの老人が羊の群れにうもれて、白い髪と赤い顔を「ぽつくねん」(引用者注−「ぽつねん」と「つくねん」を合わせた造語だろうか)と、ひとりさびしく姿をさらしているところを見たり、夕ぐれの角笛の響きを聴いたりして、つい感傷の涙を流しそうになる旅人は、もちろん、太田の自画像である。
2 《ローマの夕》の解説
ながく、カンパニアの野に立って感じたことを記したあとで、ようやく、《ローマの夕》の絵についての解題が書かれている。
カンパニアの遺跡と水のほとりに、特別珍しくないという衣装の女性が立っている。
コルソー・ウンベルトはローマの中央にある大通り。ローマの街中で見たなら、そんなに感銘は受けなかっただろうが、カンパニアの野で見かけたときは、その素朴さがきわだって心をうったというのである。
イタリアは旅行者のための国ではないと言ったダンヌンチオとは、作家ガブリエル・ダヌンツィオGabriele D’Annunzio(1863−1938)のこと。
この作家も、明治大正期によく読まれた。とりわけ『死の勝利』は、森田草平の『煤煙』に影響を与えたことで知られている。
3 三色版
子どもの頃、書物に三色版の図版があると、なにか物足りなさを感じた。じっと見ると、ドットが見える。ドットが見えると、画像がそれほど精度が高いものではないというがっかり感がやってくるのである。
《ローマの夕》の女性の顔の部分の拡大図をあげてみよう。
予想はついていたが、いざ拡大画像を撮影してみて、そのドットの模様に驚かされる。ふだん、視覚にこれくらいの解像力があれば、三色版はまやかしにすぎないということになるだろう。
逆に言うと、視覚はドットの魔術にごまかされているということになるだろう。
三色版はカラー印刷の手法で、写真網版によって赤・青・黄の三版をすり重ねる。網版を使うため、網点、ドットが出てしまう。
精細な網版を使うと、きめも細かくなる。
太田三郎の作品からそうした事例を示してみよう。
おそらく、原画は油彩画であろう。
尾崎紅葉『金色夜叉』冒頭のカルタ会の様子である。網版の精度が高いことがわかる。
だが、拡大してみれば、やはりドットが目立つだろう。それを示すのはやめておこう。
4 画文集
さて、『欧洲婦人風俗』は、雑誌の記念品として作成されたらしい小冊子であるが、画文を組み合わせる試みである。小さな画文集といってもよいだろう。
解説文を読むと、太田が文章にも凝っていることがわかる。
『ハガキ文学』で活躍していた頃から、画文を組み合わせる志向が、太田三郎にはあったのではないかと思われる。
『ハガキ文学』には、感傷的ではあるが、魅力のある散文を数編寄稿している。『近古小説十二題』は、当時の話題作から一節を抜いて、太田が絵を描くという試みであった。
自分の文章と絵を組み合わせてみるという発想は、太田にはなかったのだろうか。
『ハガキ文学』第4巻4号(明治40年4月1日、日本葉書会)に次のような書籍広告が掲載されている。
上段「会告」の後半は次のように記されている。
重要なのは、「有益なる美術の友となり、清新なる趣味の普及を計らんが為め、新しき美術著書及び画集の類を漸次刊行する事としたり」という一節である。
注目したいのは、右から2番目の太田三郎の『彩翅』である。書名はアイドルの名前のようだが、彩翅とよませるのであろう。説明には「年若き多藝多才の画家が、青春の彩翅を羽打ちて藝花の春に天翔る姿の如何に美はしきよ。目下印刷中」とある。
会告に従えば、画集の可能性が高いが、「多芸多才」という表現から、文章と絵を組み合わせる可能性も皆無とはいえないだろう。
広告の『彩翅』以外の書物はすべて刊行されている。「目下印刷中」とあるが、『彩翅』のみは、現在見出すことができない。
出来が気に入らず、破棄してしまったのだろうか。詳しいことはわからない。
もし、カラー図版も使った画文集として『彩翅』が刊行されていたならば、きっと人びとの記憶に残る書物になったに違いない。
*ご一読くださりありがとうございました。
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