一條成美の絵葉書:日本赤十字社三重支部落成紀年絵葉書
一條成美の絵葉書を入手したので紹介する。
保存がよく、エンボス加工もきれいに残っている。
石版の重ね刷りについても観察することができる。
封筒
絵葉書の保存がいいのは、封筒に入れたまま残っていたからだと推定される。
文字は次のように読める。
日本ハカキ倶楽部は、過去記事でふれたように後発の絵葉書業者で、一條成美を中心的画家として起用した。それゆえ「絵画部 一條成美」という表示がある。
紀念絵葉書といえば、1904年から翌年にかけて5回にわたって発行された日露戦役紀念絵葉書がよく知られているが、学校や官庁、各種団体も、節目の折に紀念絵葉書を発行している。
『各種紀念絵葉書類鑑』(大正6年、大内市朗編、淡路絵葉書倶楽部)という本があって、国立国会図書館デジタルライブラリーで見ることができるが、この絵葉書はのっていなかった。
日本赤十字社三重支部落成紀念
明治40年は、東京勧業博覧会が開催された年で、『東京勧業博覧会彙報(7)』(1907年3月、東京勧業博覧会彙報社)に「●日本赤十字社三重支部落成式」という記事があり、次のように記されている。
ここにいう「其他紀念品」のなかにこの絵葉書が含まれていたのであろう。
絵葉書の意匠
保存がよい状態の絵葉書に出会うとうれしい。
封筒から出されていたら、銀の輝きを保つことはむずかしかっただろう。
コロタイプの写真と多色石版の組み合わせで、日露戦役紀念絵葉書で使われた印刷手法である。
それぞれの枠が銀、ピンクと白の市松模様の飾帯(リボン)が十字に結ばれて、その上に赤い花が配されている。
左の枠内は、日本赤十字社総裁の閑院宮、下左の写真が三重支部、右の写真が山田病院である。
赤い花は最初、ケシ(ポピー)のように見えたが、枝にトゲが描かれているので、一重のバラだと推定される。
記念スタンプの日付は、明治40年4月8日になっている。
エンボス加工
図版でも銀の枠が浮き出ていることで分かるように、エンボス加工がほどこされている。
絵葉書の裏を見るとよくわかる。
「日本赤十字社三重支部落成紀念」の文字がわからないように加工されている。
こうしたレイヤー(層)を重ねるデザインは、一條成美が得意としていたものである。
*ご一読くださりありがとうございました。
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