網代格子:竹久夢二『山へよする』研究④
今回は、『山へよする』の表紙と背と裏表紙に使われている網代格子の文様を取り上げてみよう。
網代格子は、斬新なデザインの表紙画を額縁のように取り囲んでいる。網代格子は本の背に続き、裏表紙の全面に及んでいる。
筆者は、裏表紙を見ていると、ハンドメイドのバスケットを思い出してしまう。
手描きで丹念に線を描いている竹久夢二。機械的なデザインとは対極にある手業を実感することができる。
この文様がどのような意味を、になっているのかを考えたい。
1 網代文様と網代格子
『「夢二」永遠の女 笠井彦乃』展図録(平成19年3月、中央区教育委員会・中央区郷土天文館)には、『山へよする』の装幀について次のような記述が見出せる。
着物の柄、文様について詳しい記述がある『きもの用語大辞典』(装道きもの学院編、昭和54年12月、主婦と生活社)を見てみると、「網代模様」が立項されており、次のような解説がついている。
この解説によると、線を斜めに交叉させる場合と、縦横に交叉させる場合があることがわかる。文様についての諸本を見ると斜めの場合を図としてあげている場合が多かった。
縦横に交叉させるのは網代格子と呼んでよいだろう。先に少し言及したが、伝統的な文様でありながら、西洋のバスケットチェックとも似ており、竹久はそうした東西の溶け合いを意識していたのかもしれない。
また、「文様としては風景文様などに添えて用いること」が多いという指摘があるが、『山へよする』の装幀での使い方も、表紙画の額縁として網代格子が機能しているようにも見える。
2 笠井彦乃と網代格子のきもの
網代格子は、笠井彦乃が愛用したきものの柄に由来するとあるが、写真からその事例を探してみよう。
女子美術学校の後輩の高橋しづ(右)と笠井彦乃(左)。大正6年、京都時代の写真である。
『「夢二」永遠の女 笠井彦乃』展図録(前出)のキャプションでは「彦乃は丸髷を結い、夢二デザインの網代模様のきものを着ている」と説明されている。
シンプルな網代格子ではなく、少し変化を加えたものである。
坂原冨美代『夢二を変えた女 笠井彦乃』(2016年6月、論創社)に、【図30】として「東山病院入院中の彦乃を見舞う不二彦」という写真が掲載されている。病院のベッドに横たわる笠井彦乃が、そばに立つ不二彦、看護師とともに写っているが、彦乃は上記図版と同じ着物を着ているように見うけられる。大正7年9月下旬の撮影と推定される。
次は、竹久夢二、次男不二彦、笠井彦乃の3人で、大正6年9月に石川県金沢郊外の湯涌温泉山下旅館に逗留した際の写真である。不二彦が撮影したといわれている。
高橋しづと写っている写真の着物とよく似ているが、線がある格子のデザインが少し異なっている。
線がある格子の文様は、算くずしと呼ばれているものに似ている。
算とは易で用いる算木のことで、3本か4本の線を組み合わせて網代文を作るのが、算くずしである。
3 絵画の中の網代格子
『山へよする』に使われている網代格子と同じパターンの着物は、竹久夢二が描いた絵の中にも登場する。
図版は加藤版画研究所の木版画のものである。
最初は、大正9年の水彩画《長崎十二景》の5番目の作品《燈籠流し》として制作されている。
竹久夢二は、大正7年8月、不二彦とともに長崎の永見徳太郎(1880ー1950)を訪ね、約2週間滞在し、長崎を案内してもらった。永見徳太郎は長崎で倉庫業を営む資産家で、芸術に関心があり、多くの文人や画家と交流があった。
竹久はその厚遇への返礼として《長崎十二題》と《女十題》を永見に贈ったのである。
加藤版画研究所は昭和9年に加藤潤二が創設し、ポール・ジャクレーの版画などを制作した。夢二没後に夢二の絵画の版画化を行い、『長崎六景』もそのひとつで、《長崎十二題》から6作を選んで木版画にしたものである。永見所有の原画《長崎十二題》が、1936年から1940年ごろに加藤潤二の所有になったとされている。(注1)
さて、原画が描かれた大正9年には、すでに笠井彦乃は没していた。女性と幼児は、笠井彦乃と不二彦に見立てられている可能性があるだろう。
『山へよする』の網代格子のほうが、線の数が3倍以上あるが、パターンは同じである。
見比べていると、『山へよする』の網代格子は、本のコンテンツをおおう着物であり、本のコンテンツは笠井彦乃の身体であるかのように思えてくる。
このほか、網代格子、算くずしの柄の着物が描かれている事例を記しておこう。
『夢二封筒模様第一集』表紙画(大正8年12月、清文堂)
セノオ楽譜No.216《ほととぎす》(大正9年10月、セノオ音楽出版社)
《風》 大正15年5月、『少女世界』*岩田準一編『夢二抒情画選集 下巻』(昭和2年5月、宝文館)所収
《寝椅子》 大正13年11月、『婦人グラフ』*岩田準一編『夢二抒情画選集 上巻』(昭和2年1月、宝文館)所収
さがせば、もっとでてくるだろう。
4 網代格子の意味
何にでも意味を見出そうとすることはよくないことかもしれないが、網代格子について、考えられることを整理しておこう。
表紙画は一つ目を使った斬新な表現である。その額縁、パッケージとして伝統的文様である網代格子が選ばれている。そこには、新しさと伝統を対照するというデザイン上の戦略があらわれている。異質なコンテクストにあるものを同じ平面でぶつけるというのは、竹久がよく使う手法である。
包紙(カバー)は未来派のような前衛的色彩の奔流で満たされているが、カバーをはずすとモノトーンである。一つ目をモチーフにした表紙画は包紙(カバー)の前衛性を引き継いでいるが、包紙(カバー)の奔放な不規則性と、網代格子のモノトーンの規則性とのコントラストは計算されたものだろう。
また、網代格子は、西洋のバスケットチェックと交換可能で、そこには和洋が共在している。
先に言及したように、網代格子を着物に見立てれば、そこに本の主題である笠井彦乃への思いが凝縮していることになる。
(注1) 『浪漫の光芒 永見徳太郎と長崎の近代』(2023年10月、長崎県美術館編、長崎文献社)による。164ページ。
*『山へよする』の動画による紹介。
*過去記事①〜③
*ご一読くださりありがとうございました。