太田三郎が蒐集していたもの:『読売新聞』大正十四年八月二十五日 四面「コレクシヨン拝見(十八)」紹介
はじめに
今回取り上げる、太田三郎の蒐集した書物を取り上げた新聞記事の複写はかなり前に入手していた。その時は一読して、太田の所蔵書物の紹介かという感想をいだいただけであった。日本美術における〈絵本〉の伝統に、あまり深い知識がなかったためである。
取り上げられた書物について簡単な注釈を施す作業の中で、この記事は太田三郎という画家のバックグラウンドを知るための重要な文献だということに気がついた。
記者が紹介している書物は、概ね絵入りのものが多い。これは、太田がそうした系統だった蒐集を心がけていたことを示している。また、太田三郎には、父、仙草の文人的教養が継承されていたことも、蒐集された書物からうかがえる。
大西廣、太田昌子両氏は、近世期に、屏風などの〈壁の絵〉が、書物の中の〈本の絵〉に変化したことに関連して、次のように指摘している。
太田三郎は、人々に共有されるこうした視覚像の資料庫(アーカイブ)としての書物の役割についても、認識しており、それが美術史にとっても重要な存在であることも理解していただろう。
太田は明治38年から雑誌『ハガキ文学』の編集にかかわるが、それは太田自身が近代の〈本の絵〉の世界に足を踏み入れる第一歩であった。
スケッチ画集や絵物語を刊行した太田は、近代の〈本の絵〉の文化に足跡を残したが、それは単なる余技ではなく、近世までの〈絵本〉の伝統を十分意識した活動であった。
以下は、太田のコレクションを視覚的に追体験してみる試みである。
書物についての注は簡単なものにとどめた。
自由使用できる画像は提示した。その他のものはリンクで参照できるように配慮した。直接的に、またリンクによって図版を参照できるのはnoteの長所である。
わたしの日本美術史に関する知識は浅く、いたらぬ点も多いと思う。また、太田のコレクションのオリジナルを示すわけではないので、不十分な点もあるだろう。
ただ、わたしの貧しい作業から、太田にあった「絵本好き」の気持がすこしでも具体的に読者に伝わればと願っている。
1 記事本文の紹介
『読売新聞』の大正十四年八月二十五日、四面に掲載された「コレクシヨン拝見(十八)」記事は「室町、徳川初期、元禄、明治、各時代へ亘る絵本、随筆物の太田三郎氏」という見出しで、画家太田三郎の収集品を紹介している。
まず、記事の全文を紹介しよう。
原文にルビ(ふりかな)はないが、読者の便宜のために、適宜ルビをほどこした。
短い記事であるが、画家太田三郎のコレクションが、室町から明治に至る「絵本」を中心とするものであったことがわかる。「絵本」とは、絵を中心とした本、絵入本、絵手本等を総称した名称である。
記事には写真が付されており、洋間のクロスが掛けられたテーブルの上に、本が所狭しと積み上げられている。腰掛けた和服(浴衣か)姿の太田が書物を検分している。右背後には大型の西洋式書棚が置かれ、中には書物が立てて収められている。
今回の記事のヘッダーは、清須はるひ美術館の太田三郎展のチラシの写真からとった。『読売新聞』の記事の約15年前、明治末の太田の書斎の写真である。
再度、部分図をあげておこう。
中央奥には油彩画の大作の女性像がたてかけられている。おそらく現存していない。
扇や錦絵、羽子板が壁に掛けられ、書棚には、書物が横に積まれている。この置き方から、多くはおそらく和本であり、明治末にはすでに多くの蒐集書物があったことが推測される。
人形や民芸品などもあり、趣味人、好古家としての側面が太田にあったことを物語っている。
さて、次節では記事に取り上げられている書物がどんなものか簡単な注釈をつけていくことにしたい。
2 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー奈良絵本
原文では書名は一重カギ(「」)で表示されているが、ここでは書名は二重カギ(『』)で表記する。
奈良絵本
奈良絵本とは、御伽草子や幸若舞の本などに彩色された挿絵を入れた筆写した本のことをいう。室町時代末期から江戸初期に多く作成された。
『さる源氏』(上下)
奈良絵本。『さる源氏』は『猿源氏草子』ともいい、『御伽草子』の1編で、伊勢の鰯売りの猿源氏が遊女蛍火に恋をして、和歌の徳によって結ばれるというサクセスストーリー。
『はちかづき』
これも奈良絵本。これも『御伽草子』の1編、
頭に鉢をかぶせられた交野に住む備中守の娘が継母に家を追われるが、長谷観音の加護によって幸福な結婚に至る物語。
3 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー丹緑本など
丹緑本
江戸時代の初期に、絵入の版本の挿絵に手彩色を加えた書物。丹、緑青、黄土の3色が基本であるが、目立つ丹(赤)と緑をとって命名されたという。丹緑本という名称が普及したのは、明治大正期で、もとは「絵どり本」と呼ばれたという。軍記物、幸若舞曲、御伽草子などが多い。
『大職冠』
『大織冠』とも表記。
大織冠は官位制度の最高階を意味するが、藤原鎌足を指す。幸若舞の曲の一つで、鎌足の娘紅白女は唐の太宗に嫁ぐ。太宗は返礼として玉などの宝物を万古将軍を使者として鎌足に贈る。その玉をめぐる争奪の物語。
『新曲』
幸若舞曲の一つで、『太平記』の巻18の「一宮御息所の事」を素材としている。一宮は後醍醐天皇の皇子、尊良親王を指す。尊良親王とその夫人である御息所との出会いと別れと再会を描く。
『大阪物語』
正しくは『大坂物語』。『大坂城物語』とも。絵入り仮名草子で関ヶ原の戦いや大坂冬、夏の陣を取り上げている。
『義経記』
室町時代中期の軍記物語。源義経の生涯を取り上げている。江戸初期に絵入りの版本が多く出された。
大阪大学付属図書館の赤木文庫から、挿絵が彩色された『義経記初巻』を紹介しておこう。
師宣前後
師宣は菱川師宣。江戸時代前期の浮世絵師。版本の挿絵画家として出発し、風俗画家として独自の様式を構築した。版本に『吉原恋の道引』(延宝6年刊)、『浮世続』(天和3年刊)、『大和絵つくし』(貞享3年刊)がある。
「師宣前後」とは、版本の絵本が出始めたその前後という意味だろう。
『大和絵つくし』は、物語のよく知られた場面を絵画化したものである。記事には取り上げられていないが、国立国会図書館デジタルコレクションから、小野小町にふれたところを紹介しておこう。
この本は初版本で、手彩色は後になされたものだという。版本の版画に手彩色をほどこした例である。
色彩への憧憬が高まり、やがては錦絵木版が誕生するのである。
『鎌倉物語』
鎌倉の名勝を絵入りで紹介したもので、『鎌倉名所記』ともいう。
中川喜雲撰、菱川師宣画で、多くの版本が出ている。万治2年刊。
『ぶんしやう』
『文正草子』とも。お伽草子の1編。文正は製塩業で成功し、2人の娘は、中将の奥方、帝の女御となり、自身も大納言となるという出世譚。
『島原合戦記』
島原の乱に関する雑史。『嶋原記』とも。江戸中期以前の成立で5巻本。作者不詳。
『保元物語』
保元の乱の経緯を描く軍記物語。彩色絵入り本の例として、東京大学デジタルアーカイブポータルから東京大学総合図書館南葵文庫蔵の『保元物語』巻1を紹介しよう。
丹緑本は丹、緑青、黄土の3色が基本であるが、4種の色を使っている。少ない色数であるが、色彩への欲求は強く感じられる。
『吉原小唄惣まくり』
『吉原はやり小哥そうまくり』とも。吉原で流行した歌謡をあつめたもの。宝永年刊に初刊。
『日本契情始』
『日本傾城始』とも。享保6年刊の浮世草子。八文字自笑、江島其磧の作。
『絵本千代の松』
鈴木春信の絵本。明和4年刊。人物のみならず、風景や花鳥の絵も含む。
メトロポリタン美術館所蔵の《Picture Book of the Eternal Pines (Ehon chiyo no matsu) 絵本千代の松》(明和4年刊)から「初春」の見開きを紹介しておこう。
文字と絵の一体感が高まり、木版は繊細な彫りで女性や子どもたちのしぐさをとらえている。
4 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー趣の変わった絵本
『蕙斎略画』
『蕙斎略画苑』とも。江戸後期の浮世絵師、北尾政美(鍬形蕙斎)の絵手本。文化5年刊、1巻。
早稲田大学図書館古典籍総合データベースの『蕙斎略画』にリンクを張っておく。
正岡子規も、どのような絵画についての書物を読んでいたかについて記した水落露石宛の書簡(明治35年5月29日付)に『蕙斎略画式』(寛政年間、3冊3巻)の名をあげている。
太田三郎には、『応用自在 略画の描き方』(昭和6年6月、崇文堂)など、略画の画法について記した書物もある。太田のスケッチ画の特徴は、速筆のクロッキーのようなタッチに表れている。それは、北尾政美(鍬形蕙斎)の略画の描法に通じるものを感じさせる。
『帝都雅景一覧』
河村文鳳の絵に、頼山陽の漢詩文を合わせて江戸の名勝を紹介したもの.文化年間。木版に独特の味わいがある。褐色、緑など軽く色版も使っている。
5 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー随筆物
『還魂紙料』
柳亭種彦(高屋知久)の考証随筆。文政9年刊、2巻。古画の紹介を含む。
国立国会図書館デジタルコレクションから、上巻の若衆木偶について説明した見開きを紹介しよう。
木版による文字と絵の一体化、指先や、着物の柄の繊細な表現に注目されたい。
『用捨箱』
柳亭種彦の考証随筆。近世の世相、風俗に関する項目が主であるが、古い絵の模写もある。天保12年刊。3巻3冊。用捨箱とは、中に区切りがある書類保存箱のこと。
国立国会図書館デジタルコレクションの『用捨箱』から「百鬼夜行の画巻のうち鍋の変化」を引いておこう。
《百鬼夜行絵巻》の鍋の妖怪を模写したもので、オリジナルとほぼ同じである。古画を近世随筆から知りうるということを太田は認識していただろう。
『骨董集』
山東京伝(岩瀬醒)の世相風俗についての考証随筆。古書、古画の引用あり。文化11〜12年刊、3巻4冊。未完に終わる。
国立国会図書館デジタルコレクションから、「耳垢取古図」を紹介しておこう。
子どもが好奇のまなざしで見上げているが、変わった商売があったものだ。
『近世奇跡考』
山東京伝の考証随筆。古書画等によって近世の風俗、人物について考証したもの。5巻5冊。文化元年刊。
『江戸砂子』
菊岡沾凉が著した江戸の地誌。『江戸砂子温故名跡誌』『江府名蹟志』とも。6巻6冊、享保17年刊。
6 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー畸人伝もの
『近世畸人伝』
伴蒿蹊による、諸分野の「畸人」(変人であるが天にかなう人物)約200名の伝記。挿絵は三熊花顚。寛政2年刊、正編5巻。
国立国会図書館デジタルコレクションから挿絵を例示しておこう。
三熊花顚の挿絵は諧謔味のあるもので、近世絵画の一つの流れを示している。小杉未醒の「漫画」は、こうした傾向の延長線上にあるのだろう。
『俳家畸人伝』
『俳家奇人談』のことか。竹内玄玄一(竹窓)による近世期の俳人の伝記。竹窓は幼時に視力を失い、俳諧の道を志した。挿絵は、蕙斎(紹真)、すなわち北尾政美である。3巻3冊、続編あり。
国立国会図書館デジタルコレクションから挿絵の事例を紹介しておこう。
吉野の桜はただ、これはこれはと仰向いて、見事な咲きぶりに感嘆するほかはないというのである。木版の線が新たな可能性を開いている。拡大して線のリズムを感じていただきたい。
紹真、すなわち北尾政美のこの絵は、どこか水木しげるのまんがを連想させるところがある。
7 記事掲載の書物についての簡単な注釈ー明治前後
『法朗西文典字類』
「法朗西」はフランスとよむ。和仏辞典である。
杉本つとむ『近代日本語の新研究 その構造と形成』(1967年 桜楓社)に次のような記述がある。「○法朗西文典字類―横本,半紙四つ切り型,42丁。 桂川幹甫策識として〈略語之符号〉をあげる。 例言に〈客歳吾友楊子,法人ノエル・シャプサル二氏合著ノ文典ヲ校刻ス学徒争ヒ購フ/吾カ家塾ノ二, 三少年亦勉メテ之誦読シ講習ノ際,此册ヲ編成シテ以テ備忘ニ備フ人有リテ屢其上木ヲ勧ム依テ之ヲ吾ニ謀リ且吾カ校閲ヲ乞フ/吾以為フ此稿モト匇卒ニ成り謬誤少ナラサルヘシ之ヲ世ニ公ニスルハ徒ラニ大方ノ嘲ヲ招クニ足ラム/楊子曰否,古人所著ノ書尚掛漏ヲ免レス,況ヤ吾輩ニ於テヲヤ (中略) 撰著ニ関ル二、三子各経世ノ大志ヲ懐ク故ニ名ヲ韜ミテ顕サス吾其功ヲ没スルニハ非ルナリ〉とみえる。例言必ずしも明確ではないが, 楊子なる人物の著わしたものが基になっているのであろう。「法朗西文典」(全二冊・柳河春三 慶応2年・1866) が既に刊行されている。」
「桂川幹甫策識」とあるのは、おそらく名の「国幹」の「国」が脱落しており、「桂川国幹甫策識」が正しいのであろう。「識」は書き記したという意味である。
桂川甫策(1839−1890)は、桂川甫周の弟で、『和蘭字彙』の作成、改訂に協力した。
今泉源吉『蘭学の家 桂川の人々 最終篇』(1969年3月、篠崎書林)に『ヅーフ・ハルマ』の翻訳『和蘭字彙』の刊行の際に、甫策が兄甫周を助けたという、次のような記述が見られる。「ツーフ・ハルマの校刊は、桂川家伝来の蘭学のパトロンとしての使命の総決算ともいうべき事業であった。甫周が中心となって内外の関係を総轄していたことはいうまでもないが、次弟の甫策国幹、末弟の主税国謙、姉の香月の四人がこれを助け一家総がかりであった。甫周は三十、甫策は二十四、主税二十二、香月二十六であった。主幹の甫策国幹は天保三年(壬辰一八三三)に生まれ、甫賢の二男で幼名は達次郎、淳斎はその号である。甫賢の没したころは他家に養子にやられていたが、その後桂川家に復帰して兄甫周の許にいた。「未だ以って鞠養の恩に報ずる所有らず、唯此刻既に成り、文之徒に小補せば、聊か以って先君の霊を怡ばす可し」といっているが、親孝行のつもりで仕事を励んだその気持ちがうかがわれる。跋に完成の喜を五度重ねて述べている。」
太田がこの本を所持していたのは、少時にフランス語学習に志したためというよりは、フランス語学習を進めるうちに、初期の辞書に関心を抱いたためであろうか。
『仏語学簡易の訳文論』
『日佛文化』第1輯(昭和2年5月、日佛会館學芸部編輯、白水社)に掲載された「大正十四年十月三日/同十月六日/第壱回日佛関係図書展覧会目録解説」に太田三郎蔵の『仏語学簡易の訳文論』が出品されたことが記録されている。解説には「Arthur Arrivet 著 佛語學簡易の譯文論 一 明治十九年 丸善書店(丸善) 太田三郎氏藏/洋装、著者ハ第一高等中學校教師ナリ。同校ノ教科書トシテ編セシモノカ。」とある。これもフランス語学習に関連するものであろう。
『航西日乗』
佐和正(1844-1918)は明治期の警察官僚。明治12年の大警視川路利良の欧米視察に随行。渡欧前後の記録が『航西日乗』。3巻3冊、明治17年5月刊。簡易な図はあるが、挿絵はない。
フエルナン・ガネスコー作、ビゴー画の「シツキン・オン・ヂヤポン」
これは、『日本におけるショッキング』 (Schocking au Japon 明治28年)のことである。Schocking au Japonとは、「日本の破廉恥」というほどの意味である。
清水勲編著の『ジョルジュ・ビゴー画集 明治を活写した仏人風刺家伝』(1970年8月、美術同人社)では、次のように指摘されている。「副題は〝日出る帝国日本の芸術革命〟で、著者名はフェルナン・ガネスコとなっておりビゴーが挿絵を画いているが、フェルナン・ガネスコはビゴーと同一人物らしい。その根拠として酒井忠康氏の説(巻末の資料参照*引用者注-酒井忠康「放浪の画家ジョルジュ・ビゴー」『神奈川県美術風土記』昭和45年2月、所収)が有力 である。とにかく、この本は日本の京都の官展を美術の堕落として、痛烈にやっつけているなど、明治の美術批評の中でも最も古いものの一つである。」106ページ。
記事に「その他百人一首本」とあるが、あまりに多岐に亘るので、次節に国書データベースのリンクをのみ表示しておくこととする。
8 参考画像のリンク
太田三郎が所持していたものとまったく同じものを示すことはできないが、これまでの本文で紹介できなかった図版資料のリンクの一覧を下記に掲げておく。
適合度が高いものを、そしてなるべくカラー版のものをセレクトした。
○『猿源氏草子』国書データベース
11の濱口博章コレクションのものが横本の奈良絵本である。
○『猿源氏草子』東京大学デジタルアーカイブポータル 霞亭文庫
霞亭文庫は渡辺霞亭の旧蔵書コレクション。
○『さるげんじ』国立国会図書館デジタルコレクション
挿絵は、丹(赤)と緑の2色で彩色されているので、丹緑本である。
○奈良絵本『はちかつき』龍谷大学図晝館貴重資料画像データベース
○『はちかつき』国書データベース
39の大阪大谷大学図書館本が横本の奈良絵本で、カラー図版。
○『たいしよくかん』丹緑本 国立国会図書館デジタルコレクション
○『新曲』幸若舞曲 国書データベース
3の香川大学図書館神原文庫本が丹緑本か。
○『大坂物語』国書データベース
丹緑本は見出せなかった。
○『義経記』国書データベース
下記の京都大学付属図書館本が丹緑本である。
○『鎌倉物語』国書データベース
18の筑波大学附属図書館本。
○『文正草子』国書データベース
丹緑本の画像は見出せない。
○『ふんしやうのさうし』慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション
元禄7年刊で、一部彩色されている。
○『島原記』国書データベース
20の弘前市立弘前図書館本は絵入『島原記』。
○『保元物語』国書データベース
5の三康文化研究所附属三康図書館蔵『新板絵入保元物語』。
○『吉原はやり小哥そうまくり』国書データベース
8の国立国会図書館デジタルコレクション『吉原はやり小哥そうまくり』。
○『日本契情始』国書データベース
○『絵本千代の松』国書データベース
3の東北大学附属図書館『絵本千代の松」、5のフリーア美術館蔵の『絵本千代の松』がカラー版である。
○『蕙斎略画式』国書データベース
12の大阪大学附属図書館石濵文庫本がカラー版である。
○『帝都雅景一覧』国書データベース
○『還魂資料』国書データベース
41の広島大学図書館本がカラー版。
○『用捨箱』国書データベース
50の名古屋大学附属図書館本がカラー版。
○『骨董集』国書データベース
88の富山市立図書館山田孝雄文庫のものがカラー版。
○『近世奇跡考』国書データベース
63の東京藝術大学附属図書館脇本文庫のものがカラー版。
○『江戸砂子』国書データベース
43の京都大学附属図書館谷村文庫のものがカラー版。
○『近世畸人伝』国書データベース
31のお茶の水大学図書館のものがカラー版。
○『俳家奇人談』国書データベース
91の奈良女子大学学術情報センターのものがカラー版。
◯佐和正『航西日乗』 国立国会図書館デジタルコレクション
◯『百人一首』国書データベース
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訂正 2024/10/12 15:12 重複部分を削除。
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