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渡辺与平の付録絵葉書:『新国民』第10巻第4号
1 渡辺(宮崎)与平について
今回は、渡辺(宮崎)与平の状態のよい付録絵葉書を紹介したい。
宮崎与平(1888ー1912)は、長崎県生まれで、京都市立美術学校卒。1904年に室町画塾で鹿子木孟郎に師事した。後、中村不折に学ぶ。1908年第2回文展に、馬を描いた油彩画《金さんと赤》が初入選した。1909年、画家渡辺文子と結婚し、渡辺姓をなのる。1910年第4回文展で油彩画《ネルのきもの》が三等賞を受賞した。コマ絵の世界でも活躍し、竹久夢二と並称され、『ヨヘイ画集』(明治43年12月)などのコマ絵集を出版している。1912年に没する。享年25歳であった。
ブログ記事「渡辺与平追悼」、「ヨヘイ、文展に落選する?」。
2 『新国民』第10巻第4号
雑誌『新国民』については、過去記事《雑誌『新国民』の付録絵葉書》でふれたことがある。
そこから引用しておきたい。
以下引用。
「『新国民』は通信教育をおこなっていた大日本国民中学会の機関誌で、雑誌『日本之青年』の後継誌として、1903年4月から発行された。
大日本国民中学会は尾崎行雄を会長として1902年に設立され、運営は幹事の河野正義があたった。通信教育の教材として、講義録を発行した。
『新国民』は会員向けの投稿雑誌であるが、博文館の『中学世界』と同趣の、論説やエッセイと投稿欄を組み合わせた目次である。」
通信教育を事業の中心に据えていた大日本国民中学会が、通信教育に関心を持ってもらうために、投稿雑誌を発行して、読者、受講者を開拓していたのである。
大日本国民中学会の通信教育に使われた講義録については下記記事を参照いただきたい。
さて、『新国民』第10巻第4号は明治43年1月1日の発行である。
![](https://assets.st-note.com/img/1737516394-bmvtoGM2qAOwi0NKZFRerDUL.jpg?width=1200)
表紙画の学生が手に持っているのは、講義録である。
3 渡辺与平の付録絵葉書
巻頭の付録絵葉書を紹介しよう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737517941-KS81aPjUAg4JIvow3YDRdsrc.jpg?width=1200)
『新国民』第10巻第4号(明治43年1月1日発行)大日本国民中学会
絵葉書本体の高精細画像を掲げよう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737522547-ul4HLQSCpv0UTA1saBJmxthN.jpg?width=1200)
犬を抱く男児が描かれている。
右の空白部分は、文字を書くスペース。
犬が描かれているのは、1910年が庚戌の年であったからである。
左上の方には梅花が描かれている。梅花は新年を迎えてやがて梅が咲くだろうという季節感の表示である。
子どもが着ている上っ張りは、無地の白で、防寒と遊び着を兼ねているのだろう。
学帽は、男児が小学生であることを示している。
サインは○の中に縦書きで「ヨヘイ」と記している。
ぱっと見た感じでは木版的な感触がある。
特に梅の枝や花は、木版的である。
拡大図をあげてみよう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737523331-5oxnHEa23WN67VDX4zjbc0Ps.jpg)
『新国民』第10巻第4号(明治43年1月1日発行)大日本国民中学会
絵葉書、左上のサインの上部の拡大図である。
枝のインクの付き方はまさに木版の特徴を示している。
しかし、抱かれた犬を拡大すると、そこに石版の特徴を見出すことができる。
![](https://assets.st-note.com/img/1737524206-veCW7m2NOzTliRAZgcQuDpjB.jpg)
『新国民』第10巻第4号(明治43年1月1日発行)大日本国民中学会
犬の頭部の茶色の部分は石版特有の文様が出ている。
太い輪郭線やシンプルな分色は、この石版が木版の感触を模倣して再現しようとしていることを示している。
もしかして、木版と石版の混合版の可能性はあるのだろうか?
男児の目は、のの字型の大きな瞳として描かれ、星が入れられている。
これは戦後の少女まんがのヒロインたちの瞳の描法に似ている。
明治期のコマ絵をたくさん見て、日本の少女まんがに特有の、黒目がちの大きな瞳の描法の起源は、コマ絵の子どもや女性の瞳の表現にあるのではないかと思うようになった。
のの字型の大きな瞳は、いわゆる〈夢二式〉の女性像に描かれていて、それが注目されているが、子どもを描くときには、夢二以外の画家も黒目がちの大きな瞳を描いている。
下記記事を参照されたい。
渡辺与平が子どもを描いた『ヨヘイ画集 愛らしき少女』(大正2年6月、実業之日本社)が国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。下記リンク。
4 目次と口絵など
雑誌『新国民』の表紙画はたいへん地味であるが、内容は充実している。
この号の目次と平福百穂の口絵を掲げておこう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737529650-BtMSIPVhv6e5aYwH8cuzj2Ck.jpg?width=1200)
目次と口絵 平福百穂《犬を斥候に用ゐて成功したる畑能員》
戌年にちなんだ特集エッセイ「犬の話」や、医師呉秀三の講演記録「妄想と迷信」、真山青果の短編小説「除夜」などが読みどころであろう。
投稿欄にも多くのページをさいている。
平福百穂の口絵《犬を斥候に用ゐて成功したる畑能員》は、タイトルに誤認がある。畑能員は誤りで、正しくは南朝の武将、畑時能である。おそらく鎌倉時代の武将比企能員の名と混同したのではないかと想像される。
畑時能が愛犬犬獅子と従者をともなって、足利方の斯波高経と戦ったという記述が『太平記』にあり、口絵はそのことを描いている。むろん、戌年にちなむ画題である。
この口絵は石版印刷である。
*ご一読くださりありがとうございました。