「博学多彩の画家として 清須ゆかりの作家 太田三郎展」瞥見記
清須市はるひ美術館へ
2024年11月1日、雨模様であるし、迷っていたが、初日に行かずしてなんとするの思いで、太田三郎展に行ってきた。
太田三郎は同名異人がたくさんいる。
まず、現代美術家の太田三郎、知名度はわれらが押しの太田よりもずっと上だろう。
比較文学者、美濃の地方史の研究家、企業倒産の研究者、爆笑問題太田光氏の父など太田三郎はたくさんいる。
今回の展覧会で、明治、大正、昭和三代にわたって、絵画では絵葉書から油絵まで、書物では多くの美術作法書からジャワ研究まで、広領域で活躍した太田三郎という画家がいることが、少しでも認知されるといいなあと思っている。
新幹線は旅行者が一ぱい。明日から3連休だ。
名古屋から2駅で清洲駅に到着。清洲駅は清須市ではなく、稲沢市にあるようだ。
清洲駅から美術館までは徒歩で20分。まず、県道(名古屋一宮線)へ出て、しばらく歩くと、はるひの森の表示があるので右折して、進んで行くと、図書館、美術館がある。美術館の入り口はぐるっとまわったところ。細長い扇のような形をしている。
美術館のアクセス案内によると、清洲の一つ先の稲沢駅からタクシーで10分という選択肢もある。いま調べると、稲沢駅にはタクシー乗り場があるようだ。
清洲駅でも、電話でタクシーを呼ぶことができるが、待ち時間がかかることもある。
あしがるバス(ブルー)は清洲駅では毎時54分発である。
アクセス情報は下記。
展示室1
さて、今回は撮影は禁止ということなので、写真は示せない。
展示室1では、三郎の父、太田仙草の西枇杷島祭りの山車の高欄の装飾の写真や、絵画《源右府富士野巻狩之図》も展示されている。
感心しながら、視線を進めると、油彩画の大作2点が向かい合っておかれている。
《三嬌図》はチラシに出ているから、掲出しよう。
当時、太田が住んでいた家が構図のもとに使われているのではないかと解説にあった。〈三美神〉がふまえられているとも。
見て感じたのは、豊かさということだ。奥の噴水の水の色が美しい。
《三嬌図》に向かいあって《モデルたち》がおかれていたのにはおどろいた。
この絵は不評判で、こちらもその先入観ができてしまっていたが、実際見るととてもすばらしい。
《モデルたち》は、児島喜久雄から批判された。褐色の裸婦像が重い感じを与えるのかと思っていたが、実際の絵を見るとそこには軽さと明るさがあった。
ソファに寝そべっている女性が雑誌らしきものを読んでいるが、その青と白がとても明るい。視点の浮遊感もよく、私の頭の中には戦間期のプレモダニズムという言葉が字幕のように流れていった。
日本画の《沈丁花》もよい。黒字に金の線の着物、指の表情、クッションの模様などどれもいい。
展示室2
湾曲した展示室2には、彩色の肉筆スケッチ画、絵葉書、雑誌、書物、版画などが展示されている。
デッキに図版や絵葉書が埋め込まれているというか、並べられた上に透明のカバーがかかっているという展示の仕方もある。
小さな画像を間近に見ることができる。
絵葉書の原画と、印刷されたものが並んでいる。
肉筆のスケッチはどれも達者な筆使いである。
絵画だけではないいろんな側面が太田にあることが理解できる。
奥の壁のスクリーンには、渡欧した際の写真が次々と映し出されていた。
これがけっこうおもしろい。撮影者は太田の友人だろう。
アンデパンダン展の入口で撮ったものもある。
『欧洲婦人風俗』に出てきた、オランダマルケン島の女性の写真もあった。
図録
B5版45ページの小冊子(1000円)であるが、図録も出ている。
展示の内容がコンパクトにまとめられている。
一見黒い冊子のように見えるが光をあてると……。
開催期間が長いので、来館した人たちに、じわじわと太田三郎の魅力が浸透していくことを念じながら、美術館をあとにした。
*ご一読くださりありがとうございました。