一條成美の絵葉書《お嬢さまのかくし芸》:後編
さて後編のはじまり。
《お嬢さまのかくし芸》3枚目、4枚目、5枚目
3枚目を紹介。
背後からの視点で描く。
やはり、着物の袖の模様は、蝶の4枚の羽と触覚を図案化したものだろうか。
暴れる馬を演技する男性の背中に乗って、「お嬢さま」は必死でバランスを取ろうとしている。左の足のうらの様子で力が入っていることがわかる。
鞭に見立てられた細竹はまるで指揮棒のようだ。
「お嬢さまのかくし芸」とはいうものの、男性の演技的協力がなければ、成り立たない芸である。
背景の影と光の部分を濃淡で二分しているが、見たことがない描き方である。下部の明るい部分をよくみると、元々絵が描かれた紙の質がゴワゴワした感じのものであることがわかる。
4枚目。
馬役の男性は身を起している。男性の握られた拳は馬の蹄を擬している。
「お嬢さま」はぐっと手綱のシゴキを引いているが、表情は静謐そのものである。左の足先が伸びて馬役の男性の左の腿に触れているように見える。
この4枚目で、男性の服装が明らかになる。白ズボンに金ボタン(?)の詰襟(?)。
服装がわからない時によく使うのが「近代日本の身装文化」のサイトの画像データベースである。
「学生服」で検索すると、白ズボンの事例が1つあった。『生活』(1915年9月)に掲載された与謝野晶子の家族写真で、息子二人(中学生か)が詰襟に白系のズボンをはいている。
白ズボンと詰襟という組み合わせは、学生服としてはありうるということである。しかし、絵の男性の年齢は学生より高いと思われる。なぜ、男性は背広ではなく、金ボタンの詰襟のような服を来ているのだろうか。
「お嬢さま」は実は女学生で、それに合わせているのだろうか。白のズボンに黒の上着という組み合わせのものはないと思うが、詰襟はふと軍装を連想させるところがある。
白ズボンは、黒にすると絵の全体が暗くなるのを避けた選択ともいえるだろう。
とにかく、一條は〈不謹慎〉の感覚が引き起こされるように演出しているのではないだろうか。仕組まれた〈不謹慎〉は後に、しっかり評価されることになるのだが。
ラスト5枚目。
視点を垂直方向上部に置いて描いている。
「お嬢さま」は思い切りシゴキの手綱を引き、男性は身を起こして、両手をあげている。「お嬢さま」は男性の腰のあたりに足を踏ん張っているようにも見える。5枚のうちではこれが最も嗜虐的であるが、人物の表情を見せていないので、それほど扇情的ではない。
わたしは、アルフレッド・ヒッチコックの映画『鳥』で、ティッピ・ヘドレンが電話ボックスに閉じ込められて鳥の襲撃を受けるのを垂直方向上部から撮ったシーンを思い出した。
日本葉書倶楽部の広告
手持ちの雑誌『ハガキ文学』第3巻第6号(1906年5月1日、日本葉書会)に、発行元の日本葉書倶楽部の広告が出ていて、ずばり、広島での絵葉書展覧会に言及している。
日本葉書倶楽部は東京芝新堀にあった絵葉書販売業者で、一條成美は看板作家であった。
タイトルは「大好評絵葉書 令嬢の隠芸 一條成美氏密画 コロタイプ印刷(五枚一組廿五銭)」とあるが、解説文中では「お嬢様の隠芸」となっていて、呼び方が二つあることがわかる。
解説文を書き起こしてみよう。
「擒縦駆使」は自由に操るというほどの意味。
『芸備日日新聞』の記事の引用には「肉筆」とあるので、広島の絵葉書展覧会で展示されたのは、印刷されたものではなく、原画、あるいは展示のために描かれた肉筆画であった可能性がある。だから、印刷されたもの(25銭)の140倍の値段(35円)で、売約済みとなったのである。おそらく絵は彩色されたものであったのではないだろうか。
絵葉書の発売禁止
驚くことに、《お嬢さまのかくし芸》は発売禁止処分を受けていた。
『ハガキ文学』第3巻第10号(1906年9月1日、日本葉書会)に下記のような日本葉書倶楽部の広告が出ている。
上段中央に一條成美がデザインした創業1周年の記念スタンプが掲示されている。1906年8月5日となっているので、創業は1905年8月5日であったことがわかる。
上段左端の「●発売禁止」の欄に注目していただきたい。
上段右の「●水彩練習お馬の稽古」も見ておこう。
想像するに、絵葉書《水彩練習お馬の稽古》は、発売禁止処分を受けた《お嬢さまのかくし芸》とは異なって、実際の乗馬姿を描いているのではないだろうか。「馬上の美人」や「花々しく控えたる」といった表現がそれを暗示している。
1906年4月には、絵葉書《お嬢さまのかくし芸》は発売されていて、8月までに発売禁止処分を受けたということになる。
出版法と絵葉書
絵葉書が発売禁止処分の対象となる法的根拠を確認しておこう。
出版法の第1条は次のような内容である。
つまり、絵葉書は出版されたものに該当する。
発売禁止については例の第19条が適用される。
絵葉書《お嬢さまのかくし芸》の発売禁止は法的根拠があるということになる。
日本葉書倶楽部が発売禁止を広告しているのは、注文があるたびに一々説明することが面倒なためであろうが、それだけ刺激的な絵柄であったことを宣伝してもいて、後継作の《お馬の稽古》の販促にもつなげているとも見ることができる。
発売禁止の事例が他にないか雑誌『ハガキ文学』を見ていると、第3巻第5号(1906年4月1日)掲載の三八光商会(東京神田)の広告に、「曩に夏の海平和の恵白帆白鴎清涼一掬以上四版其筋より発売禁止厳令あり」とある。この4版は「真正裸体美人絵はがき」のシリーズに属しているらしい。
ここからはわたしの推測であるが、書物よりも取締が緩いと考えられて、裸体美人の絵葉書などが多く出ていたが、当局の把握するところとなり、発売禁止処分が下されたという経緯があるのではないだろうか。
発売禁止となった書物の一覧は何種かあるが、絵葉書の場合、そのようなものはあるのだろうか。この辺りは専門の方の知見に委ねるしかない。
『痴人の愛』
青空文庫版のテキストで谷崎潤一郎の『痴人の愛』を検索すると、「三」に次のような一節を見出すことができる。
パトロン、支配者として、愛玩物の「小鳥」のようにナオミを育成していた河合譲治は、活発なナオミの戯れに同調するかたちで、馬になって遊ぶ。
譲治はナオミの奔放さに耐えかねて一度は放逐するが、その魅力に抗しかねて関係を修復する。馬になる場面は「二十七」で繰り返される。
この時のナオミの馬乗りは、譲治の父権支配が転倒したことを示しているのだろうか。
ナオミは経済的に自立したわけではない。
少し未来のことを想像してみよう。加齢によってナオミの肉体の魅力が失われた時、譲治は同じ態度をとり続けることができただろうか。
老齢に近づいた譲治は、『蓼喰ふ虫』に登場する「人形」のようなお久と同じ介護型の女性を求めるのではないだろうか。
こう考えると、2回目の馬乗りも、父権支配の転倒を遊戯として演じているだけだという見方が成り立つだろう。
『毛皮を着たヴィーナス』
ちょうど、新訳でレオポルト・フォン・ザッハー=マゾッホの『毛皮を着たヴィーナス』(2022年8月、許光俊 訳、光文社古典新訳文庫)が刊行されたばかりであったので、購入して一読した。
保養地で出会った若く美しい未亡人ヴァンダ(これまでは「ワンダ」と訳されていた)に魅せられた裕福な青年ゼヴェリンは、ヴァンダの奴隷になる契約を交わすことになる。
残念ながら、ゼヴェリンがヴァンダに馬乗りにされる場面はなかった。しかし、横たわる体に足を置かれたり、蹴られたりする場面は出てくる。
会って間もない時に、ゼヴェリンがヴァンダに贈った詩は次のようなものだ。
進んで奴隷となり自分の体に愛する女の足を載せてもらうことが愛のかたちだというのが、この小説の著名な思想であるわけだが、今回一読して、虐待を受け入れる愛というのは表層にある被膜に過ぎないのではないか、という感想を抱くことになった。
ヴァンダの三人の黒人の侍女に、邸宅の庭のはずれにある畑に連れ出されたゼヴェリンは、くびきを装着され、すきをひかされて鞭で駆り立てられる。その光景をヴァンダは上着のポケットに両手をつっこんで傍観している。
最後まで読んでこの部分をふりかえると、かたよった理解かもしれないが、動物に見立てられたゼヴェリンの姿は、男性であることの病理が凝縮したものに見える。
つまり、女性の奴隷になるという選択は、父権支配の放棄ではなく、父権支配の単なる裏返しでそれを隠蔽しているのではないか、と思えるのだ。
男性であることの病理への批評性をまったく欠いているがゆえに、この小説はその病理のおぞましさを嫌というほど浮かび上がらせているのである。
ところで、絵葉書《お嬢さまのかくし芸》が発売禁止処分を受けた理由はなんだろう。
女学生のような令嬢が、学生服を着た男性に馬乗りになって曲乗りを演じる《お嬢さまのかくし芸》の趣向は、世間的な価値観を転倒している点で〈不謹慎〉であるとされたのだろうか。
「かくし芸」という虚構の世界で演じられていても、男性支配への侮辱は見逃せないということだろうか。
広告文(『ハガキ文学』第3巻第6号、1906年5月1日、日本葉書会掲載、日本葉書倶楽部広告)では、「奇抜なる諷刺骨髄に徹する」とある。
若い女性が男性に馬乗りになるという事態は「かくし芸」という虚構の世界でのみ可能であり、かえってそのことは、明治社会の現実は徹底した父権社会であるということを明確に照らし出す。そのことが「諷刺」の内実だろう。
コロタイプ
最後に印刷手法について触れておこう。
広告によると、絵葉書《お嬢さまのかくし芸》はコロタイプ印刷によるものである。
コロタイプはガラス板にゼラチンなどを塗布して、ネガを焼き付ける写真印刷の方法である。ゼラチンがひだを作って連続階調の像を作ることができる。
問題は、絵葉書《お嬢さまのかくし芸》は写真が元になっているということなのだ。それはどのような写真なのか。
1枚目を再掲しよう。
タッチ(筆触)は水彩のようである。
一條に関心を持っているある方に複製を見てもらったところ、構図や光源は写真かモデルを使っているように思われるという感想であった。
たしかに、背景に黒の幕を張って、スポットライトで照明をあてたように見える。
かねて、一條はトレスをしない画家でモデルを使ったのではないかと推測しているが、当たっているかどうかはわからない。実際に絵を日常的に描いている人ならわかるだろうか。
絵葉書ができる順序を推定してみよう。
まずモデル(2名)にポーズをとってもらいスケッチする。
場所は暗幕を張って光源を一つにしたスタジオのようなところを使う。
スケッチをもとに水彩画を描く。紙は厚手のラシャ紙のようなものを使う。原画は彩色画である。
できあがった水彩画を写真撮影してネガを作る。
そのネガを使ってコロタイプの原版を作り、セピア一色で印刷する。
天井に視点を置いた5枚目はどうしてスケッチしたのかという疑問が出てくるかもしれない。天井に鏡を置くなどの大掛かりなことはせずとも、画家が少し高い場所に立てばスケッチは可能ではないだろうか。
描き方は光の明暗を生かし、なるべく線を使わないという一條成美のこだわりをよく示している。
残っている可能性は少ないだろうが、もし残っているなら、広島の絵葉書展覧会で35円で売れた肉筆の彩色画を見てみたいものだ。