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ミュシャをまねる 『新古文林』明治38年7月号の表紙画

 このマガジンの更新は久しぶりだが、今回は、明治期の画像表現と模倣の問題について取り上げてみたい。

 図版は、明治の文芸雑誌『新古文林』第1巻第3号(明治38年7月、近時画報社)の表紙画である。
 印刷は多色石版である。

 作者は目次によると石川寅治いしかわとらじ。 
 石川寅治(1875−1964)は、小山正太郎の不同舎で学び、明治34年に太平洋画会を結成した。帝展の審査員、東京高師の講師をつとめ、手堅い画風で知られる。  
 一見して、アルフォンス・ミュシャ(1860−1939)の模倣だということがわかる。
 手本に使ったのは、ミュシャのJOBという紙巻き煙草の宣伝ポスター(1898年)である。
 英文ウィキペディアの図版のリンクを示しておこう。

 比較すると、ほぼ完全に模写したものといえる。

 オリジナルのポスターでは、女性は右手に紙巻き煙草を持ち、煙をくゆらせているが、『新古文林』表紙画では、煙草と煙は消え、女性は誌名の記されたプレートを持っているようになっている。ドレスの色は変えられている。
 背景は違うが、髪のうねりや、ポーズもオリジナルと同じである。
 
 表情に注目すると、女性の半目の状態がオリジナルでは、恍惚とした状態で視線の方向が定かではないのに比べて、表紙画では、読者の方に流し目を送るような位置に瞳が描かれている。
 オリジナルでは、紙巻き煙草を一服して、気分が和らいだ感じが出ているが、表紙画では、『新古文林』のおもしろさを伝えるために読者に誘惑的な視線を送っているように感じられる。

 『ランダムハウス英和辞典 第2版』(1994年1月、小学館)によると、traceの動詞形の4番目に「〈図面・設計図などを〉敷き写しにする,透写する,複写する,トレースする,なぞる((over)).」という意味が記されている。
 石川には画力があるので、「敷き写し」にしたのではないだろう。
 瞳の位置の違いは「敷き写し」ではないことを示している。

 当時は、まだ著作権についての知識がとぼしく、こうした完コピに近い模写が行われていた。
 
 『新古文林』は、明治38年5月から明治40年3月まで全27冊を刊行している。編集人は詩人、小説家として知られる国木田独歩である。版元は、はじめは近事画報社で途中から独歩社に変わった。

 編集者としての国木田独歩をとらえた著作に、黒岩比佐子の『編集者国木田独歩の時代』(2017年2月、角川選書)がある。


 取り上げた号は、口絵写真が豊富で10葉もある。
 その中から2葉紹介しておこう。印刷は写真網版である。
 
 最初は、ハンモックの上の女学生。
 梶田半古の作で、ハンモックで読書する女学生を描いた絵葉書があるので、流行はやりだったのだろうか。

次は、傘を持つ少女。

 マガジンハウスに直通しそうな新しい感覚である。
 「新橋 江木写真館撮影」とあるが、着物を広告するためのものではない。

 どちらも、何かの広告のための写真ではなく、写真が気軽に使えるようになったという技術の進歩を読者に誇示しているようだ。 

 誌面には軽やかさがただよっているが、それは読者の支持を十分に得ることはなかったようだ。早すぎたのか?

 コマ絵では、小杉未醒がひとりで奮闘しているが、そのことはまた別の機会に。


*ご一読くださりありがとうございました。

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