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線を描かない

 今回は一條成美の絵葉書を一枚紹介しよう。
 

色と構図

 「成」の文字は一條成美のサインである。

 右下に、「春陽堂発行」の文字がある。ミシン目から外した痕跡はないので、販売された絵葉書であろう。
 

 絵柄は、和服の女性が変わり型の短冊に文字を書こうとしているところを描いている。
 印刷は、石版印刷である。左上の角に虫食いがある。

 この絵葉書は、生田誠『日本の美術絵葉書1900⇀1935 明治生まれのレトロモダン』(2006年3月15日、淡交社)で紹介されている。解説は「和風スタイルの魅力」と題して、「アール・ヌーヴォー様式に日本的な伝統の薫りを漂わせたのは、一条成美の功績である」と評価し、次のように指摘している。

一条には洋風でありながら『源氏物語』か『伊勢物語』の一場面かと思わせる不思議な魅力を湛えた作品もある。 西洋伝来のスタイルはごく自然に和風へと変貌をとげていく。

生田誠『日本の美術絵葉書1900⇀1935 明治生まれのレトロモダン』(2006年3月15日、淡交社)

 確かに、和洋の融合のさせ方が独自で、そこに一條成美の他に例がない個性を感じさせる。

 絵葉書の色数を数えてみよう。
 まず金色。右上角の星二つとサイン、女性の持つ筆。金は銀に比べると色が褪せやすい。
 銀色は下部。かがやきはまだ残っている。
 櫛、着物の襟、袖、短冊などの赤色。
 髪、帯、硯などの深川鼠ふかがわねずみ色。
 敷物、短冊などの黄唐茶きがらちゃ色。
 上部の地の薄萌葱うすもえぎ色。
 着物の部分は、紙の地色である。ただ、拡大するとキラキラした極細粒がすき込まれていることがわかる。
 

 石版のカラー印刷では、それぞれの部分を色分けして、版を分けて刷っていることが推測できる。石版では、同じ版に複数の色をのせることは難しいので、6度刷りと考えてよいだろう。
 髪や帯、敷物の部分は、地の薄萌葱色の部分に輪郭が重なっているところがあるのがわかる。

帯の部分の拡大


 星の金色や、下部の地の銀色は、上から重ね刷りされている。

 石版多色刷りには、色の部分を分けている場合と、上に重ねている場合があることがわかる。

使用済みと未使用

 わたしは絵葉書コレクターではないので、少ししか絵葉書は持っていない。古書市などで購入することが多いが、未使用のものと使用済みのものがある。

 読者はコレクションするなら未使用のものがよいと思われるのではないだろうか。しかし、未使用が最上かというと、絵葉書はその点は微妙である。

 使用されている場合は、消印から時期が特定できるし、使用者の書いた部分からその時代のいろんなことがわかってくることがある。

 下部の銀色の地に記されている「A Happy New Year」という文字は印刷ではなく、購入者が書き記したものである。年賀状として使われたのだろう。
 明治にこういう書き方をしていた人がいたことがわかる。英語教育を受けた人に違いない。学生であろうか。

 左下の角のサインは赤インクで書かれており、「M.J.K」だろうか。イニシャルなら2文字でよいのに、なぜ3文字なのかの理由はわからない。

 裏面には仕切り線がなく、通信文(「A Happy New Year」)を絵柄の面に書いているので、1900〜1906年の間に作られた絵葉書だということがわかる。この時期は宛名面に通信文が書けなかった。

消印部分拡大


 消印の日付は、見えない部分を推測で補うと、明治36(1903)年1月2日だろうか。「36」ではなく、「06」すなわち1906(明治39)年の可能性もあるかもしれない。絵葉書ブームの時期を考慮すると後者の可能性が高いが、拡大図では6の左は3のように見える。
 宛名面には赤インクで宛先の住所と氏名がローマ字で記されている。後で書き加えられた青鉛筆での漢字表記も記されている。
 全体の文字おこしは控えるが、宛先住所は「甲斐国かいのくに台ヶ原」となっている。

線を描かない

 この絵葉書の絵の描き方の特徴は、線を使わないというところにある。
 こうした描法は、一條成美だけのものではないが、多くの描き手は線を入れている。
 浮世絵は主版おもはんといって輪郭線を入れる版が必須である。
 そうした線を入れる描法をジャポニスムとして受容した西洋の画家、たとえば、アルフォンス・ミュシャは、線を入れている。太い線はミュシャの特徴で、近代日本の白馬会系の画家たちに影響を与えた。ジャポニスムの再帰現象である。

 一條成美の線のない描き方は、そうした傾向から距離を置くものだが、明治30年代半ばから見られる。
 
 比較のために、白馬会系の画家橋本邦助くにすけの蝶の絵葉書(日本葉書会)をあげておこう。石版多色刷りである。


 後景の女性は、線描によって描かれている。前景の蝶は輪郭線なしの描法で描かれている。
 色のずれがないので、蝶は重ね刷りされていることがわかる。金彩があまり褪せていない。


蝶の部分の拡大


 女性像が輪郭線のある木版的表現によるものであるとすれば、輪郭線のない蝶は伝統的な木版の表現からの離脱と見ることもできるだろう。
 
 一條成美にとっては、線の省略は、伝統的な木版の線描から離脱して、装飾デザイン的な画面を構成するための方法であり、石版印刷に適していたと言えるのではないだろうか。

 絵画における線は不思議なものだ。たとえば、風景をただ見ていると線は感じられないが、絵にしようと思った途端、線が見えてくる。
 自然界は線のない色彩の面が連続している世界である。線は、視覚的世界を分節化する言語のような働きをする。

 一條成美の線のない描き方は、線による視覚的世界の分節化を避けた装飾的表現を行うための選択ではないだろうか。


*ご一読くださりありがとう。


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