2024-1992 東中野の土地を振り返る①
人が住まうあらゆる土地というものは、移り変わっていくものです。大型ショッピングモールや大規模都市開発により、今までの生活基盤が粉砕されても、そこに住む人々はそれぞれに適応し、プロジェクトに関わった人々が去った後も、それらを自分たちのものにしていきます。
例えば今では中野の街に定着した中野ブロードウェイですが、あのような大型ショッピングモールが建設されれば、周辺の商店街には大きな打撃となることは間違いありません。現に中野の周りには「かつてここに商店街があった」という路地の痕跡をみることができます。
しかし今や中野ブロードウェイは、人々の生活に馴染み、定着しました。わたしはこのことに生活者たちの適応力と力強さを感じます。昨今の都市開発はただやみくもに「否定」されることがありますが、何かが壊されたり、風景が変わっていくことは、自然なことのように思えます。
例えば建築寿命に関して、ヨーロッパの古い建物を引き合いに出されることがありますが、そもそも日本の建築は災害で壊れ、建て直しを繰り返すような土地柄であり、その連続性の中で建築業がそれに適応した進化を遂げたと考えています。だから争いの多いヨーロッパで石畳みの建築が多い理由も自然に理解できます。
街の風景というものは、さまざまな視点があるかと思います。「住みたい街」や「商業的な価値」などのメディアの切り取り方だけでなく、小さな視点が育つべきだと感じますし、それを行うのはそこに住む人々や生活者であると思います。
1993年の東中野を振り返る
こちらはLyle Hiroshi SaxonさんのYouTube映像、マツコデラックスさんなどが紹介し、古い東京の街並みをただうつしただけの「なんでもない風景」は今ではとても貴重な文化財さんとなっています。
こちらはかつての山手通り、現在と比べるととても道路の横幅は狭いです。あるスナックのママさんに聞きましたが、あっち側とこっち側で会話できるような道路だった、と言っていました。
人気店、PAOがある場所にはどうやら書店があったようです。
PAOの裏手、現在サンデージャムズクラブがあった小さな通りは現在はとても素朴な通りですが、かつては商店が立ち並ぶ路地のような形になっていたようです。この八百屋さんのシャッターは現在も確認でき、Twitter上では「無用のシャッター」などとトマソンなどと言われていました。
現在の大きな橋はこの商店の一段上に建設されたのでこの建物は、橋に半分隠された形になっています。
おまけ
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