舞台『半纏』 脚本・演出ノート①

「シバイバ」という演劇公演の短編の脚本・演出を行わせていただきました。

こちらの舞台は「シバイバ」と呼ばれる取り組みの一つであり「映画・演劇・ドラマで世界を変える」をコンセプトに、各種の有識者を招いて、政治的、社会的な問題を、物語創作、劇作に落とし込む方法論を学ぶ講義としてスタートしたものです。

わたしは当講義に参加していませんが、友人の小林が参加しており、常々話を聞いていたので課題図書である新書「従順さのどこがいけないのか」も読んでいました。そのおり、脚本を書いているという話を伺い、あれこれ話しているうちに一回書いてみようということになり、それがコンペを通過し、そのまま脚本、演出することが決まりました。

社会的に解決すべき問題と、わたしたちの日常や生活をどのように維持していくか、ということはわたしの中で大きな課題の一つでありました。そのように考えることになったのは2つあります。

ひとつは芸術業界における様々なハラスメント問題と、昨年から始まったイスラエルのガザ地区侵攻という国際的なトピックスに関してです。

わたしは映画制作の現場の友人が数名おり、いくつかの問題をとても身近な問題として感じました。しかし告発などが行われた際、業界や、業界を倫理的に論じる言論界の人々が一斉に押し黙ったことを今でも覚えています。

たしかに、2、3人関係者を辿ればあらゆる人間に辿り着けるような近さがあり、発言することに抵抗があることは確かかと思います。しかしわたしはわたしの友人や近しい人が同じようなことにあったらと思うと、とても深い悲しみがありました。その時、わたしは人物などは名指しせず、そういったことを監視し続ける意思をSNS上で表明しました。

SNSといえども日常であり、人々の生活があり、社会性も存在します。5秒に1度つぶやいていたらミュートされることも多くなりますし、非社会的なことをいっていたらフォローも外されてしまいます。同時にほぼ全ての人に公共性のある発言が求められるようになりました。お笑い芸人の方が言っているような「好きで言っているのを勝手に覗き見て、文句まで言ってくるな。」という子供のようなことも言う気にもなれない社会になっています。

そのような場で政治的なことを発信し続けることはとても勇気のいることです。と同時に、そういったことから忘れるために、気晴らしにSNSを利用している人がいることも確かです。またそのような話題が近くにあることでメンタルヘルスを崩してしまう方もいらっしゃいます。このようにSNSはすでに社会化されて、日常に組み込まれており、「SNS上の従順さ」などと一言でまとめられるような話題ではないことになっています。

昨年から始まったイスラエルのガザ地区侵攻があります。多くの非戦闘民が亡くなっていることはニュースなどで報じられている通りです。明らかに倫理を逸脱した社会が目の前にありにもかかわらず、わたしたちは明らかに何も行動を起こせていない事実があります。

まず前提として、わたしたちはわたしたちの生を生きる必要があります。健康を崩して大変な人、やるべき使命がある人、家族のために働く人、多様な生が存在し、行動を起こす人が難しい人が存在します。確かに多くの国民が沈黙していくのは恐ろしいことではありますが、わたしたちはその理由も考えなければいけないと感じます。ましてや沈黙している人々を無闇に攻撃することは明らかな間違いです。このような分断は、言われた側が冷笑することで決定的なものになります。そのような場面を多く見てきました。

情報化された現代、あらゆる問題が見え、わたしたちのところに届けられています。ある問題に積極的にコミットしている人が、ある問題に対しては沈黙している形になってしまう。そしてそれに耐えきれず、その自らの加害性に耐えられなくなってしまう方もいらっしゃいます。今の日本では、いかに社会的にコミットするか、の議論が深められていない現状があります。

わたしはイスラエルの問題に対してコミットできることは、それを学び、正確な情報を個人レベルで届けることがと思ったので、それをnoteでまとめたりなどしていました。事実これによってリアル会話でも、これらの情報を届けることができています。社会を変えることはできないかもしれないけど、隣人の明日を変えることはできる。そんな気持ちでこの舞台を完成させようと考えています。


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