落ち込んだら何か書いてみる試み。

私はよく落ち込む。
そしてそれを愚痴る相手もそんなにいない。蛆虫みたいなやつなので、ウジウジしているからこんな内容聞かせたら相手が可哀想だよなと思ってしまい……結局家族なんかを犠牲にする。
こういう意味で私という人間はかなりの内弁慶になっている。
今日はその落ち込みを不特定多数の人に見られてもいい範囲で文章にしてみることにした。

神経が異常に繊細なため、できないことが多い。
すぐにストレスにやられて体調を崩す。神経はそう太くなることはない、これは生まれつき決まっているか、もしくはごく小さいうちに確定されてしまい、一定の臨界期が過ぎてからは強くなろうにも無理なものだと思う。
精神論、根性論で鍛えれば強くなるという説があるが、あれはうそだ。悪しき大日本帝国陸軍味を感じてしまう(私は別に海軍派ではない。どっちもどっち、どっちもクソだと思う。非軍人の呼び方は地方でも娑婆でもなんでもいい。地方人っていう表現が好きだよ、個人的にはね)。

世の中のほとんどの人は私より「持って」いるように見える。
健康、これを喪っているのはものすごくでかい。私は自分で言うのもアレだが平均より得意なことがいくつかあり、そのうちどれかを鬱で挫折せずに頑張っていれば少しは食えるようになったのかなと思っている。特に文筆業。今思ったら新聞記者とかからジャーナリストなどになればよかったと思う。
高校時代に二次障害を発症したのが痛かった。これのせいで努力するだけの胆力を失った……いや、もともとノミの心臓なので持っていなかった説が濃厚だけれど。
高校生というまだ可能性が開かれているように思われる時期に挫折したので、「こいつさえなければもう少し私はどうにかなった」幻想からもう長いこと抜け出せていない。
こいつさえいなければ大学受験の時はもう少し上を目指せたと思ったし、大学院でもこいつさえいなければ博士課程に進んでもやっていけたのではないかと思った。就活から敵前逃亡して無事「精神障害ゆえに無職」という身分になった時も当然同じように思った。
が、やっぱり生まれつき打たれ弱いので無理だったのかもなぁと思う。残当(残念ではなく当然)というあれだ。
鬱のために頑張って頑張ってダメだった、という経験を奪われてしまった。そのため、がんばれれば俺はもう少しなんとかなった幻想に取り憑かれた引きこもりニートみたいな精神状態になっている。

俺はまだやれると思っている。

こうしてnoteにつらつらと駄文を書き連ねるのもその燻りが私にもたらす謎のエネルギーによる。
よし、それならばいっそ燻りのプロになるか。
でもはたと考えてしまうことによれば、燻っていいことってあるか……?燻って到達できる高みはあるのか……?
そもそも、私はなぜ、高みを目指さねばならないと思っているのだろう?
燻りはいずれ脱出するものだ。その時多分、何らかの高みに行けているのかもしれない……よし、燻り沼から脱出できるまでは燻り続けてやろう。

溺れる時、大抵人はバタバタと手足を動かして必死に空気を吸おうとする。私はいま、燻りの沼に溺れている。一応、なんとかしようと手足をバタつかせる抵抗は続けてみようと思っていて、こうしてnoteに記録を残すのもその一環である。


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