〜Youngsters, be ambitious!〜地獄の底より、明るい声で歌ってやる。

 以下に書きつける文章は、私が仕事の関係で接する生徒たちに配る(かもしれない)メッセージである。なにか書いたら公開可能なものはここにアップして遺しておきたいと思った。
 高校生くらいの生徒さんたちに向けての言葉だ。年齢の隔たり、学識の隔たりなどがあるため、いつも彼ら彼女らにまっすぐ届く表現を探っている。

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 「少年よ、大志を抱け」。この言葉をあなたがたは聞いたことがあるだろうか。米国からやってきた「お雇い外国人」のひとりであるウィリアム・スミス・クラークが、札幌農学校の教頭を辞して日本を去るにあたって教え子たちに贈った言葉だとされる。もともとは〈Boys, be ambitious.〉となっており、若い男子たちだけに向けられた言葉だった。この言葉をすべてのジェンダーに開くため、私は敢えて「Youngsters(若者たち)」と呼びかけの部分を書き換えておいた。それはこの言葉が語られたのが明治初期で、専門的な学問を修めるのは男子に限るという時代だったからだ。
 私自身は今は若者というには無理な歳になったけれども、若かりし頃を思い出す。大学で卒業証書を受けた時、学部長K先生が私に「be ambitious」と声を掛けてくれたのである。一人一人に、違う言葉をかけることで有名な教授だった。私は臆病な学生だった。K教授の講義は一度受けただけ、私のことは覚えていなかっただろう。先生は知ってか知らずか、なぜ私にこの言葉を託したのだろう。臆病で、新しいことに挑戦するたびに体調を崩すほどの繊細屋だった私にとってその言葉はとても重かった。
 ──大志を抱け。
 大きな志を、言い換えれば夢を持って世に出て、活躍できる人になりなさい。高校時代にうつ病に罹患してずっと体調が思わしくなかった私には到底無理だと思った。だけど、その言葉はこんにちまで私を奮い立たせ続けている。たとえどんな地獄にいても、必ず光明を見つけ出してやろうと思うのだ。
 それから結構な年月が経過した。病に負けた私は大人物にはなれなかった。いや、今のところなれていないけど、いつかなるかもしれない。そんなことを夢想するくらいには、まだヤングな無鉄砲さを持ち合わせている。
 これを読んでくれるあなたは、世界をどういうふうに見ているだろう。十数年は、世界を全て知るにはあまりにも短い。また、たとえ長寿と言われる百歳になっても、知らないことだらけで人々はあの世へ旅立つ。とてもじゃないけど知らないことに満ち溢れている。
 私の見ている世界は、地獄に近い。事実聖書には、「世の支配者は悪魔だ」とすら書いてある(ヨハネ福音12:31、16:11など)。天使だの悪魔だの神が存在するか否かを信じるか信じないかは個人の判断に委ねよう。しかし少なくとも、私はいま私たちが生きている世界は、嫌なものが善いものに明らかに優越していると思う。
 戦争がある。弱い人たちが死に、強い人たちは安全なシェルターにいる。そればかりか、そういう強い人(偉い人)が、どこを何発のミサイルで攻撃するかを決めてさえいる。それで失われる一般人の命なんてせいぜい、ゴキブリが死んだというふうに考える奴らだ。
 路上は、オフィスは、そして時には家庭ですら自分さえよければそれでいいという人でひしめいている。そういう場所ではナチュラルにハラスメントが起こる。社会に安穏な場所はごく僅かしかない。
 あなたがそんな場所を見ていなければ、そんな場所に身を置いていなければ幸いだと思う。心当たりのある人もいるだろう。聖書にも「悪魔が世の支配者」と書いてあると言った。昔っから人の世は、渡り難くできているのだろう。
 いまに始まったことではない。しかし「今、この時代だからこその地獄の形」はそのときそのときで違う様相を見せる。いまは、どんな地獄?
 私はそんなふうにこの世を見ている。憂えているし、時に深く絶望している。こんなことを、未来に不安も多かろうあなたに語って、いたずらに不安を煽ることを私は厭う。そうであってほしくない。だからこそこうして筆を執っている。


 ねぇ、もう一度あの言葉をいま言うとして。あなたは、この言葉を重荷だと捉えるだろうか。
 ── Youngsters, be ambitious!
 こんなにしんどい人生で、こんなに生き難い世界で、大志なんて抱いている余裕はあるかよ!そんな言葉を俺に、私に、僕に掛けるのはよしてくれ!
 そんなふうに思うなら、私は無理強いをしない。ただ、こういう言葉を力強く言えた時代がかつてあった。そういうあなたには、その事実だけ今日知ってもらえれば十分。明治維新が起きた頃、良くも悪くも私たちの祖先を乗せたこの列島は、大海へと船出をしようとしていた。小中学生のどこかで学んだと思う。長いこと鎖国して、アメリカなどから開国を迫られて、仕方なく幕府は通商を開いた。
 新しいビジネスが日本列島に舞い込んで、これまでちっぽけな立場だった人が「立身出世」して、急に偉い人になることだってできた。その裏で、維新の動乱の煽りで貧しくなり、貧民窟なるものが都市にできて、汚い場所で貧苦に喘いでいた人たちもいたことは忘れてはならない。でも、江戸から明治へ、「新しい世」が来た!っていう感覚が、多くの若者の魂を奮い立たせたのは事実だ。
 あなたは、「大志を抱け」るか。希望はあるか。
 理想主義者である私は、学校とはそうした希望を見出せる場所であって欲しいと思う。そしてゼミであなたと関わる時、希望を少しでも、その光の尻尾を少しでも掴み取れる瞬間に貢献できたらと切に願っている。
 理想主義者は敗北する運命にある。どこかでこんな言葉も読んだけれども、それでも私は現実主義者になることはできない。
 理想主義も現実主義も、行き過ぎれば悲惨な結果につながる。その間でバランスをとることが必要だ。現実主義者の「現実的にこういうことは無理だから、やめておこう」。そういう判断の積み重ねで、甚だしい場合は戦争に至る。理想主義者の「こうでなければダメだから、お前を排斥する」。こういう判断をして、たくさんの人が政府に不都合だからという理由で刑務所に送られて人権を蹂躙(じゅうりん: 踏みにじられること)された過去の苦い歴史がある。
 私は基本的に理想主義者であり、たまに現実主義のエッセンスを入れながら世を渡る。
 こういう人間だから、その言葉は身に余るけれども、Be ambitious! 絶望の中でも、一筋の光をいつでも探す。
 あなたは、この言葉を受け入れられるだろうか。光を探そう、希望を探そうと思えるだろうか。無理はしなくていい。煌びやかな理想と暗澹たる現実のはざまで、どうにか息を続けながら、共に生きたいと私は願う。



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