世に、闇を見出してしまう感性

憐憫を込めて、私にいう人がいる。あなたは不器用だ。損をしている。
侮蔑を込めてかどうか知らないが、こうもいう人がいる。頭でっかちで言い訳だけ並べ立て、結局やらなくて済むように理論武装している。
今、私は仕事らしき仕事をしていない。少し前からある筋に誘われて、少しだけ教育現場に出入りさせてもらっているのでちょっとだけ仕事を始めた、とも言えるけれど。私が事件を起こしたり、事件に巻き込まれて報道されることがあれば、「無職」と書かれてしまうのは事実。
今からいかにも引きこもりニートが言いそうなことを言う。自己弁護でもあるが、しかしいま私は炭鉱のカナリヤであると思う。正々堂々と言おう。
ずばり。この世の闇は深いから、引きこもっても仕方がない!
この世には常人には堪えられないほどの闇が潜んでいる。ほとんどの人は脳内麻薬を搭載しているのでその闇に気が付かずに済むか、気が付いたとしてもぼんやりとしている。真正面から受け止めると壊れてしまうから、防衛本能がしっかり働いている。
だが、脳内麻薬の少ない剥き出しの脳を持って生まれてきた不幸な者は、その闇を正しく捉えてしまう。
脳が曇っているために「陰謀論者」に堕していく場合があるが、そうならぬようつとめて冷静に、公正な判断力をもって世界を眺めてみると解る。世界の頂点には魑魅魍魎がおり、私たちのような一般市民は虫ケラ同然の扱いを受けていることに気がつく。陰謀論?いやこれは違う。実際にそうであることしか私は語らない。
陰謀論と現実的な嘆きの違いはどこにあるのか。それは、現実を単純に捉えるかどうかという一点にある。
たとえば有名な陰謀論に、ユダヤ陰謀論とか、フリーメイソンの陰謀論がある。世界を牛耳っている一団があり、その一握りの人間のために戦争が起こされたり、政策が歪められたりして人々が苦しむと言うシナリオだ。たとえばフランス革命はそういう陰謀を企てる一団によって引き起こされたと信じられた。
フリーメイソンの全貌を私はよく知らないが、たとえばユダヤ陰謀論について言えば、ユダヤ人全般が自分たちで世界を牛耳り、それ以外の人々を踏みつけようと考えているわけではない。ユダヤ人の中にも色々な人がいて、いい人も悪い人もいる。これはあらゆる民族に適合する当たり前の話だ。金融資本家にはたしかにユダヤ人が多い。それは、キリスト教が金融業を穢らわしいものとして忌避してきたから、その賎業をマイノリティであるユダヤ教徒たちに押し付けたからである。
その結果として、確かに現在も富を蓄えたユダヤ系の財閥は多い。だがその中には、別にユダヤ系ではない人も入っていて利益に浴している。
ことはそう単純ではないが、単純な答えを人々は求めて陰謀論者になってしまう。点と点を簡単に繋げてしまう。だが実際には、この社会に起こっている不条理な現象は複雑系を成していて、一言で「◯◯のせい」といい当てることは不可能だ。
だから◯◯人陰謀論という言い方をするのは語弊があるので良くないと思う。しかし、とりあえずは資本主義のドラゴンみたいな化け物が存在するのは確かだ。この世を支配しているのは金である。
聖書には、この世の支配者は悪霊(悪魔)だと書かれている(イオアン12・31、黙示録12・9など)。悪魔の一つにはマモンがおり、七つの大罪の「貪欲」を司っている。セム語で、マモンとは金銭や富のことだ。つまり拝金主義を悪魔として具現化したものがマモンということができよう。
マモンに拐かされた人たち。すなわち、拝金主義の人たちは、最も効率よくお金を儲けることを企む。どうするか?人を虫ケラのように扱えば良い。労働者からやりがい搾取をしてピンハネしてやれば良い。一番高い値段で取引できるのは兵器だ。人を文字通り虫ケラのように殺すことのできる鉄の塊は、巨万の富を生み出す。
私が出入りしている教育業界でも、闇の片鱗を窺い知ることができる。
人の能力は千差万別だ。確かに磨けば、その人なりに光る。だが、現在の社会で評価されるやり方で光ってくれる子ばかりではない。人には適正/不適正があり、いわゆる五教科で満遍なくそれなりに点数を取ってくれるような優等生に仕上げることができるのは、はっきり言って恵まれた頭脳を持って生まれてきた3割くらいの子たちに過ぎない。
20点を40点にはできる。だが、20点を80点にして欲しいと親は考えて塾や家庭教師に申し込む。私はそのような仕事をしてきたが、20点の子を80点にすることができるのは余程のレアケースだ。
だがそれではいけない。商売が成り立たない。一部のレアケースだけを宣伝の材料に使う。あたかも、「みんなこうなれる」と思えるような希望をコーティングして煌びやかな広告を作る。そうすると、発達科学の知識のないほとんどの親は、「うちの20点の子を、80点の優等生にしてくれる」と一縷の望みをかけて塾や家庭教師や教材に申し込む。
苦痛を感じるのは末端の講師である。
ない袖は振れない。その筋に適性のない子でも、指導によって20点を40点にすることは可能だ。科目によっては50点くらいに持って行ける時もある。だが、頭打ちは必ずやってくる。親が期待したレベルに達することはほぼない。この壁は多くの場合中学を境にやってくる。小学校範囲でついていけなくなる子は、発達の問題を早くから指摘される。だが中学入学までは「なんとかなる」水準の子は、支援の必要がないとみなされる。それなりに頑張って60点くらい採れればまぁ大丈夫と見做されるようだが、そう言う子は大抵、中学に行くと40点、下手すると30点が見えてきてしまう。
「◯◯の講座を取っているのに成績がイマイチよくならない」この苦情を受け付けるのは雇い主ではない。末端の、委託契約された講師だ。そして「あの先生は実力がない。他の講師に変えてください」と言われる日が来る。だけど多分、他の講師にしても結果は同じだろうと思う。
お金のために、その子にとって本当に大切な支援をほったらかしにして、「点取りマシーン」にさせることに血道を上げる。生徒の顔はだんだん死んでゆく。
戦闘機云々に比べたら随分マイルドだが、やはりここでも、お金のために人の心を殺している。末端の講師と、未来ある子どもたちの心を。

こんな現実が見えた時、この世で働くことは全て、欺瞞への加担だと思ってしまった。私は働くと胃が痛くなり、不眠になり、健康を害する。
だからこうしてものを書くしかなくなったのだ。しかし書くからには、全身全霊で書こう。自らが紡ぐ言葉がこの世の闇を穿つと信じているからだ。

いいなと思ったら応援しよう!