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紀ノ川

 ボクが鮎釣り師になったのは加藤さんという人と出会ったからに他ならない。
 高知の片田舎で育ったボクは社会人になると和歌山市に就職し、その職場に加藤さんは自動車運転手として働いていた。
 夏のある日、加藤さんの主催で職場レクが開かれる。場所は紀ノ川の中流部にある船戸橋の下で、職場の若い者が準備に動員された。一番下っ端のボクは朝早くから現地に行って日よけのビニールシートを張らされた。
 この日の料理は加藤さんが紀ノ川であらかじめ獲った鮎とズガニだった。何十匹もの大きな鮎に竹串を刺す。最初は手が滑ってうまくいかなかったが、加藤さんにこつを教えてもらって要領を得た。竹串に刺された鮎は炭火の周りに円陣を組むように並べられ、大きな竹かごですっぽりと覆われた。きつね色になったらできあがりだ。
 ズガニの方は手間取った。こちらは大きな竹かごの中に数十匹が生きたまま入っていて、大人の手の平もある厳ついズガニがわんさか這い上がってくる。それをつかんでは熱湯に入れるのだが、またすぐに這い上がってきて往生した。観念したズガニを棒で抑えつけて熱湯に沈めておくと、土色のズガニが鮮やかな赤色に変色する。調味料は鮎もズガニも塩だけだった。
 できあがった鮎とズガニが、川岸に集まった職場の家族連れらに振る舞われる。
 うまい! ボクらは夢中で舌鼓を打った。晴天の下で冷え切ったビールが喉を鳴らす。加藤さんは目を細めて冷酒をあおっていた。
 少し酔った加藤さんはやおら立ち上がると、「お前弟子や。手伝え」とボクを指名しタテ網の片方を持たせた。「今からこの前で鮎を捕りますので」と加藤さんがみんなに言うと歓声が上がった。ボクは加藤さんに言われるがままに紀ノ川に入っていった。指示どおりボクは対岸に渡るとタテ網を持ったまま上流に石を投げ続けた。すぐに肩が痛くなったが、みんなが声援を飛ばすのでやめられない。やっと網の引き上げとなって岸に戻ると、まるまるとした鮎が何匹も掛かっていた。
 その一匹を取り外した加藤さんは、人差し指で鮎の腹を割って内臓を取り出し、梅干しをつぶした梅肉を内臓の代わりに詰め込んだ。
「これが紀ノ川の通の食べ方やして。そのままかじれっ」
 と加藤さんが言う。
 ボクが躊躇するとみんなから拍手と歓声が飛ぶ。ボクは顔をしかめて鮎にかぶりついた。
「ん、お前は若いけど素質がある」
 と上機嫌の加藤さんはまた冷酒を美味しそうにあおった。
 思い返してみれば、それから四半世紀もの歳月が流れていた。
 転勤で和歌山を離れていたボクは再び転勤で和歌山に戻ることになる。
 ボクはすぐに加藤さんの家を訪ねた。さすがに年老いていたが、グリッと開いた目は昔のままだった。
 その夏、ボクは加藤さんに釣った鮎を持って行った。
「おまはんが鮎釣り師になるとはのぉ」と加藤さんは目を細めた。
「昔紀ノ川で加藤さんに鮎を食べさせてもらってから興味がわきました」
 とボクは返した。
「今晩うちに泊まっていけ。おまはんにちょっと話したいことがあるんや」 
 と加藤さんがボクの手を引く。その時の表情が少し暗かったのが気になったが、ボクは遠慮してまた来るからと断った。
「じゃあちょっと待っとけ」
 と家の裏に消えて行った加藤さんは、鮎釣りベストを下げて戻ってきた。
「これ買ったんやけど足が悪うなって鮎釣りでけんようになったから、おまはんにやる。今度これ着て船戸橋の下で釣れ」
 と言われた。
「はい。加藤さんの代わりにバンバン釣らせてもらいます」
 とボクが声を上げると加藤さんは顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
 なのに、ボクは釣りクラブの拠点である有田川の方に通い詰めて、紀ノ川にはつい行きそびれてしまった。
 翌年のある晩秋、久しぶりに加藤さんに鮎を持って行ったら寝たきりになっていた。
 ボクがそばに寄ると目を向けて何か言うが、何を言っているのか分からない。加藤さんは直ぐにまた眠ったようになった。意識が戻ってあんたのことわかったみたいやして、と奥さんが声を詰まらせる。あの時、加藤さんはボクに何を話したかったのだろう。
 その半月後、加藤さんは帰らぬ人となった。
 鮎ももう掛からなくなった肌寒い日、加藤さんからもらった鮎ベストを着て船戸橋の下で竿を出す釣りバカを、橋上から何人かが笑いながら眺めていた。
 約束は守るから約束で、守れなければ約束とはいえない。
 ボクはせめて一匹でもと鮎竿を繰った。

                              了

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