鏡川
私がまだ鮎釣りを始めて間もない30歳代の頃の事です。高知の鏡川で鮎を釣っていました。
釣れているという情報を得て来た川なのにあまり釣れず、たまに釣れても小さい鮎しか釣れませんでした。私の背後で「こんな小さい鮎釣っても全然おもろないわ」と数人の釣り人らが不満そうに引き上げていきます。確かにその通り、と私もふてくされたまま竿をもって突っ立っていました。
しばらくすると上手から釣り人が一人釣り下ってきます。やがてその釣り人は竿を担いで私のそばまでやってきました。
「どうよ、にいちゃん釣れよるかえ?」
「いいえ全然です」
と振り返った私の目はそのおじさんの左手一点に止まりました。が、すぐに自分でも驚いた気配を隠そうと川の水をすくい上げて顔をバシャバシャ洗います。
「暑すぎますよね今日は」
などと私はおろおろ周囲の山に目を移しました。
その釣り人はますます私に近づいてきます。周りには誰も居ません。
私ははなんだか心細くなって少し後ずさりをしました。
その釣り人の左手は手首から無く、手の代わりに頑丈な金属製の輪っかのようなフックが飛び出ています。
ヒキブネのロープはそのフックに引っ掛けられて揺れていました。
「にいちゃんどっから来た?」
サングラス越しに覗き込まれた私はこわばりました。
「わ、和歌山です」
「えっ和歌山! また遠いところから来たんやな」
「あ、いや生まれたのは高知なんで里帰りがてら来たまでです」
「なるほどね。ここは解禁当初はよく釣れたけど今は釣り荒れで全然釣れんようになったがよね。トロ場には少し遊び鮎が残っているみたいやけどね」
「はぁそうなんですね」
「ちょっと下手に入らせてもらっていいかい?」
「あ、どうぞどうぞご自由に」
私は視線をそらせたままぎこちなく会釈をしました。
その釣り人は下流の方にゆっくりと降りて行くとトロ場を選ぶように竿を伸ばします。
私も自分の釣りを始めようとしますが、どうもその釣り人のことが気になってなかなか始められません。オトリ鮎をヒキブネから出そうとしたりしながらも、しゃがんではその釣り人の方を気づかれないようにちらりちらりと覗きます。
しばらく何の変化もなく、その釣り人は空を見上げました。私もつられて空を見上げます。競り立った新緑に切り取られた小さな青空でトンビがくるりと輪を描いていました。と、視線を落としたらその釣り人が腰をかがめています。
釣れたのだ!
でもいったいどうやってタモ網に取り込むのだろう?
タモ網は持てないだろう?
するとその釣り人は、右手で持った竿に金属製の左手を添えてゆっくりと竿を立てていきます。そして岸の方に持って行くと、しゃがんで腰に差したままのタモ網に左手をクルクル繰って二匹の鮎を吊り上げました。
驚いたのは手返しです。あまりにも早い。オトリ鮎の交換はしなかったようです。
また掛かった! 岸辺の方にゆっくりと後ずさりする最中、あぁっ、石に乗り上げてバランを崩した。瞬間、金属製の手が伸び背後の石にカシッと当たって石の粉が飛びました。いや、石の粉というよりか私には火花が散ったように見えたのです。
あんなにまでして一生懸命鮎釣りを楽しんでいるなんて。
釣れないし釣れても小さいしおもしろくない、なんてふてくされていた自分が恥ずかしく思えてきました。
何一つ不自由のない体で鮎釣りができることに感謝しよう。
私はこのおじさんと出会えて良かった。そして、鏡川で一緒に釣りができたことに感謝したいと思います。