海外に住んでみて感じる「日本人」という価値の高さについて感じること。
最近、日本を出てみて改めて思うことがあります。
世の中では、親ガチャなる言葉が一時流行ったけど、私は思う。
そもそも親ガチャ云々の前に、私たちは国ガチャに当たっているということ。
私は個人的に、親ガチャとか国ガチャ(この言葉があるのか知らないけど)とかいう言葉は好きじゃないから、使いたくないけど、結構的を得た言葉でもあると思ってる。
セブ島で働き始めて早7ヶ月が経ちましたが、日々感じるのが発展途上国と先進国のこの埋まらない溝に対してのやるせない気持ちです。
私は日本人であるというだけで、フィリピン人よりすごく難しい仕事をしているわけでもないのに、比べものにならないくらいの給料をもらっている。
これは私の給料が高いということではなくて、フィリピン人の給料が私たちの想像をはるかに上回る少なさという意味で、ですけど。
日本人が優秀であることは確かだし、それはフィリピンに来て本当にわかったこと、日本人って本当に真面目でかゆいところに手が届く、努力家な国民性を持っている素晴らしい民族なんだ!って。
でも、一方で、日本人ていうだけでもうブランドみたいなところがあるから、日本にいたら大したことない能力だったとしても、ある国ではすごく需要が高くて、信じられないくらい高待遇で働けたりする。
フィリピンは人によると思うけど、それでも日本にいるよりはかなり暮らしやすいと思うし、いい暮らしができると思う。
それもこれも、フィリピン人とか、すごく言い方は悪いけど、、、他の国の人が安く買い叩かれている上に成り立っているビジネスモデルなんだって、改めて現実を目の当たりにして、どうにもしようのない感情に苛まれている今日この頃。
日本にいたらこのありがたみとか気づかなかったと思う。
日本がどれだけ恵まれていて、過去の人たちが作ってきてくれた「日本」というイメージのおかげで、私たちはすごく生きやすい道を作ってもらってそこを歩いているだけなんだって。
日本人に生まれたこと自体、本当にありがたいことだし、感謝してもしきれない、どれだけ幸せなことなのかを最近肌で感じてる。
どれだけ頑張っても、どれだけ才能があっても、報われない境遇に生まれた人たちがいる一方で、私たち日本人はチャンスしかない、頑張ればどこへでもいけるチケットを生まれながらに付与されたんだと思って、
私もっと人生をありがたいと思って生きないといけないなって感じているんですよね。
何ができるのか、何がしたいのか、定まっているわけではないけど。
ただ漠然と、この機会を無駄にしてはいけないという使命感にただただ駆られている毎日です。