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ゆるやかな自害

「精神的ストレスが溜まると暴飲暴食をしてしまう」というのは、おそらく結構なあるある話で、これは緩やかな自傷行為だと聞いたことがある。
たしかに暴飲暴食は健康を害する上にお金もかかるので、充分なダメージである。


心が疲れると食に逃げる流れになるというのはよくわかるし、イメージもしやすい。
しかし何故か私は、ストレスで爆食いはしないものの、風邪を引いて病み上がりの時にジャンクフードを求める傾向にある。

人の体はある程度上手くできており、今不足している物を欲しがるらしい。
疲れている時はクエン酸を求めて酸っぱいモノが食べたくなるし、生理の時はセロトニンを求めて甘いモノが食べたくなる というように。

なら何故わたしは、栄養を日頃よりも摂らねばならない病み上がりの時期にジャンクフードを欲するのか。


しんどくて作るのが面倒でさ…とかではない。
もう温めるだけの状態で置いてある栄養のあるモノが例えあったとしても、わざわざ湯を沸かして3分待たねばならないモノの方へ気持ちが向くのだ。

もしかして、私が知らないだけでカップ麺って栄養の塊、、、?

そんなわけないのである。
「実はカップ麺に栄養があるから欲している…?」じゃない。疑うべきはそこじゃない。

もしかしたら私の中の私は、風邪引いた体を回復に向かわせたいと思っておらず、そのまま緩やかに自分を死に向かわせようとしているのではないか?と思った。
ゆるやかな自害。本人の意に反した自害。


私の潜在意識が「私みたいな奴は早くこの世界から取り除かねば」と無意識的に排除しようとしているのではないか。だとしたら怖すぎる。もう誰も信用できない。いやちがう、自分のことだけが信用できない。本当の意味での己の敵は己。

ということは、もし私が私に「こんな有益な人間、生かしておくより他にない!」と思わせることができたら、病み上がりにカップ麺ではなく緑黄色野菜の爆食をしたいと思えるようになるのだろうか。

人生懸けて実験してみたい。自己肯定感と病み上がりに欲する食の因果関係。

もし私が自分を「この世に必要な人材」と思うことができた日には、すぐに誰かから風邪を貰い、熱を上げ、食べられない期間を経て、病み上がりには一体何を食べたいと思うのかを知りたい。


そこで結局カップ麺だった暁には「ただ単に私はそういう個体だった」ということが判明するが、実験のおかげでその時には自信まで備わっている予定で、大変にお得である。我が人生に悔い無しである。

でも自信満々の私なんて、なんか私じゃなくてちょっとかなしい。



ご馳走様でした。
病み上がりジャンクフード、最低にしてサイコー!

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