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世の終わり~ルカの福音書21章~ゆっくり通読しよう

1.やもめの献金

生きる手立てのすべてを投げ入れたやもめと、有り余る中から投げ入れた金持ちたちとをイエス様は比べられた。
教会で献金の時の祈りで、「あなたが下さったもの一部をお返しします」と祈る。やもめと金持ちの違いは、どれだけ自分に取って痛い献金かということではなくて、神様への感謝と信頼の大きさだと思う。
やもめはなぜ持てる全てを投げ入れることができただろうか。
その頃、貧しいやもめに食の配給がされていたそうだ。まず、神様が下さった恵みへの心からの感謝、そしてこれからも神様は自分を養って下さるという信頼からだと思う。
何が起ころうとも慌てず、神様は必ず私を養って下さり必要な物は全て与えて下さるという信仰をしっかり持っていたい。

2.美しい神殿

神殿をほめる人々にイエス様はこの神殿は崩壊すると予言された。旧約のこの預言は紀元70年に成就した。この苦難の時に、イエス様の言葉を信じ覚えていて、そのとおりに山へ逃げたユダヤ人や、自分がいた都や田舎に留まったユダヤ人はローマによる惨殺から免れたそうだ。

3.惑わされないように

その後ユダヤ人は全世界に散らされる。エルサレムは、異邦人の支配の時が終わりイエス様が再臨する日まで"踏み荒らされる"とある。

📖世の終わりはいつ来るのか

その予兆は、偽キリストの出現や各地での戦争や暴動ではない。いつの時代も必ず繰り返し起こることだから。
そのしるしとは、民族対民族・国対国の世界中を巻き込む大戦争、大地震、飢饉、疫病、恐ろしい光景、天からの大きなしるし、と書かれている。予測しただけで恐ろしさのあまり気を失うほどのものだと。これまでとは明らかに違うものなのだろう。

世の終わりとは、私たちにとっては神の国が来る日なので、実は喜びだと言えるのではないか。しかし生みの苦しみはあまりにも壮絶だ。

📖神の国が来る前に起こること

主を信じる人々は激しい迫害を受けると、書かれている。たくさんの信仰者たちが決して投げ出さず、命をかけて福音を継承してきた。キリスト教は迫害の歴史だという。今この日本で自由に信仰を持てることのすごさを思った。 
「しかし、あなたがたの髪の毛一本も失われることはない」
使命を果たすまでは守られ、使命が終われば主のおられる天に召されるということかと思った。私も置かれた場所ですべきことを果してこそ天に召される日が来るのだろう。
主の御前に立つ時、イエス様は私になんと声を掛けられるだろう。引き締まる思いがする。

📖人の子が雲のうちに、偉大な力と栄光を持って来られる日

世界が滅びるかというその時、主が介入されこの地に再臨される。
『風の谷のナウシカ』に出てくる伝説の一場面で厳かな気持ちになったことを思い出した。しかし主の来られる日はそれよりももっともっと壮大で、厳かなの光景なのだろう。

📖いちじくの木、すべての木

ユダヤ人に、言われているのだろうか。
やがてユダヤ人の多くが主イエスキリストを信じる日がやって来る。大患難時代、すべてのことが起こるとこの時代は過ぎ去り、神の支配の時となる。

この章では
イエス様が語られた時には全て未来の事、私にとってはすでに起こった事とこれから起こる事が混ざっていて難解でした。
たとえ、天地が滅びても、主のことばは決して消え去ることはなく成就する。それは、私の生きる希望です。

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参考---ルカの福音書21章(新改訳2017)---


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