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アブラハムの義〜ローマ人への手紙4章〜ゆっくり通読しよう
1.律法と割礼
律法を語るのに割礼が取り上げられるのはなぜだろうと疑問がわきました。
📖律法とは何か
律法はモーセ五書と呼ばれる創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記で613に及ぶ命令が書かれてるそうです。モーセが登場するのは出エジプト記以降なのに創世記もモーセ五書に入ってることや、レビ記などは確かに命令の連続だけど、この五書をまとめて律法の書とするのはしっくりこない気もしました。
律法はイスラエルへ与えられたものです。
ダビデははっきりと、行いと関係なく義とされ主が罪を覆ってくださると、賛美しています。
📖割礼が意味するもの
割礼はアブラハムの子孫を象徴するとともに契約の当事者であるいう証明のようです。ユダヤ人は割礼を義とされる条件と考えていました。
アブラハムは『世界を相続する』契約のしるしとして、割礼を受けました。
割礼を受ける前に、義とされたのだから、割礼は義とされる条件ではなかったという結論で、わかりやすいです。
割礼ではなく義とされるに至った足跡に倣うことが大切ということです。
2.アブラハムの義
アブラムはあなたの子孫は星の数のようなるという神様の約束を信じた時、義とされました。
📖多くの国民の父
アブラムは、九十九歳になりイサクが生まれることを告げられた時、『多くの国民』の父となり、アブラハムと呼ばれるようになりました。
創世記の時代から私たちの救いも準備されていたのだと知り、なんだか嬉しくなりました。
📖アブラハムの信仰
アブラハムの信仰はこうです↓
18 望み得ない時に望みを抱いて信じ、20 不信仰になって神の約束を疑うようなことはなく、
21 神には約束したことを実行する力がある、と確信していました。
チャレンジが与えられた気がしました。自分で限界を決めてしまっていた関係性の回復を神様が完璧に修復してくださること、心から笑えるようになる見えない未来を信じることです。
私が初めて今の教会に来た時、信仰に基づく確信を、そこに集うクリスチャンみんなが持っていると感じ驚かされました。その時、教会が力強く成長している時期でした。
人には自由意思が与えられていて、信仰は信じようとする意志であり選択だ、とも聞きますが、私がその時に見た信仰は個人の意思や選択を超えて、神様のご計画のために教会に与えられた賜物だったと思う時があります。
📖一生を義で包んでくださる神様
アブラハムは義とされた後に、保身のため妻を妹と偽ったり、ハガイを娶ったり、年老いてイサクを与えられると言われた時は心の中で笑いました。
でも、信じたその時に与えられた義によって、神様はアブラハムの一生を包まれ、その義が無効にされることはありませんでした。また、アブラハムも、つど悔い改め信仰に立ち返ったのだと思います。
3.旧約から新約(新しい約束)へ
見えないものを信じ、イエス様の十字架の先にある約束の未来を待つ力を神様が強めてくださいますように。
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参考---ローマ人への手紙4章(新改訳2017)---