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ご褒美〜ピリピ人への手紙3章


1.主にあって生きる

キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。 14節

ずっと昔に「主にあって生きる」とはどういうことですか?と、質問した時に、「主を信じて生きる」ことだと、教えられたことを思い出しました。

それで言い換えてみました。
最後に、私の兄弟たち、主にあって喜びなさい。
→主を信じて喜びなさい

キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
→キリスト・イエスを信じて神が上に召してくださる

天国へ召してくださることが、キリストを信じることのご褒美なのだと。

2.自分の義と神から与えられる義

パウロは自分の義を持っていることがかえって損だと言い、
また、すでに得たのでも完全でもない、追求を続けるのだと、言っています。

パウロの持っている義とは、割礼においても、出身においても身分においても、教育においても、律法への従順に対しては誰にも負けないということ。
でも、いくら律法を守っても天国には入れません。

どんなに知恵のある人でも聖書や神様のことを完全に理解することは不可能です。
パウロは追求し続けたからこそ、謙虚にならざるを得なかったのではないかと思います。
自分の義において非の打ち所がないことをかえって損だといったのは謙虚になることを妨げるからだったのかなと思ます。

もしも、あなたがたが何か違う考え方をしているなら、そのことも神があなたがたに明らかにしてくれます 15節

神様の示しに気づくことができますように。そして受け入れることができるようにしてくださるのもまた神様です。

私たちの国籍は天にあります。 20章a

ただキリストを信じることによって神様から義が与えられ、天国へ入ることができます。
感謝します。

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