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らくだが針の穴を通る方が易しい~ルカの福音書18章~ゆっくり通読しよう
この章の内容は、とてもシンプルだと思った。
1.いつも祈るべきで、失望してはいけない
「まず祈る、たえず祈る」ことを忘れてしまってたり、思い通りにいかないで失望してしまったりすることもあるけれど、この御言葉は神様からの命令であると同時に、失望を希望に変えて下さるという約束の言葉でもあるんだと思った。
神様は、イエス様の身代わりの死によって十字架の時から未来に渡ってまで、イエスを主と信じた人には一人残らず、「罪なし」とのさばきをすでにつけていてくださっている。
イエス様が再び地上に来られる時、神様の御心どおりに多くの人が信仰を持っていてほしい。
📖パリサイ人と取税人の祈り
パリサイ人は自分が罪人でないことを感謝しますと祈った。彼らはきっと当時そのような祈りを普通にしていたんだろう。
イエス様は罪を赦すために来てくださった。自分が罪人であることを自覚しない限り、赦しは請えないし神様の愛もわからない。
パリサイ人のみならず、この世で善良に生きてる人たちにとって、神様の基準から見て自分に罪があるとは思いもよらないことだと思う。
2.神の国に入るには
📖子どもたち
幼子たちは何も持たないけれど、ただ純粋に信じる心を持っていた。
📖富を持つ者
「金持ちが神の国に入るよりはらくだが針の穴を通るほうが易しいのです」
律法をすべて守っていると言った金持ちが神の国に入れないのは、自分の持ち物をすべて売り貧しい人に施すという隣人愛を示せなかったからだろうか。
それ以前に、お金よりも神様に信頼をおくということが、できなったせいではないかと思う。
多くを与えられている者は、より多くの神様から期待されている責任がある。多ければ多いほど、たくさんの謙遜な気持ちを忘れないでいないと、その使命は果たすことが難しいのだろう。
誰にでも与えられた使命があると聞くけれど、私の果たすべき使命は何だろう、私が示すべき愛は何だろうと、改めて考えさせられた。自分の分の使命をどうか神様が果たさせてくださいますように。
「人にはできないことが、神にはできるのです」
📖神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者
ペテロが「すべてを捨ててあなたに従ってきた」と言った時、弟子たちはこの世と来るべき世での祝福を約束された。でも、それは神さまがそれに値する方であるからできたということを忘れてはいけない。
この時には、聞きたいことしか聞かなかった弟子たちは、向かうエルサレムで起こるイエス様の十字架の死と復活を理解することはできなかった。
📖物乞いの盲人
ただ神様を悲痛な叫びで求めた。盲人は心の目をも開いていただいたことだろう。弟子たちと対照的であるようにも思えた。
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参考---ルカの福音書第18章(新改訳2017)---