全身に神様の愛を浴びる〜エペソ人への手紙5章〜ゆっくり通読しよう
1.愛のうちに
朝、最悪な気分になることがあります。来たる今日一日がひどく重苦しいものに思えるからです。
そんな時、ただただ布団の中で身を縮めて祈ります。神様助けて下さいと。
ですが最近、ふうっと、こんな思いが浮かんでくるようになりました。
「私は自由なのに、何をそんなに恐れているのだろう?」
そう思うと体の緊張が緩み、体を伸ばして仰向けになると、手のひらが上に向きます。そうしたら、神様の愛を全身に受けることができるような気がします。
バスに乗りそこねた帰り道、夏休みに毎朝歩いた林の散歩道の横を通りました。
「私は自由なのに、何にそんなに囚われているんだろう。」
そうすると肩が開いて、手のひらに神様愛がすっと入ってくるような気がしました。
2.愛する人への態度
淫らな行い、汚れ、貪り、わいせつなことや、愚かなおしゃべり、下品な冗談は、愛する相手に対して口にすることではありません。愛する人には感謝のことばを伝えるのは、思えば自然なことだと思いました。
3.妻を夫を愛する
妻が夫を、夫が妻を愛しなさいというのは、妻や夫が立派だからではありません。”神様が欠けだらけの私たちを愛してくださったように”愛しなさいということなのだと気づかされました。
縮こまった体を開いて、全身に神様の愛を全身に受けて光に包まれた時、神様に倣い、身近な家族を愛したいと思えました。
引用 聖書新改訳2017