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サタンがかけるふるい〜ルカの福音書22章〜ゆっくり通読しよう

1.イエス様が捕らえられた夜

監視の者たちに、からかわれむち打たれ目隠しをされ「当ててみろ、おまえを打ったの誰だ」と聞かれた、というくだりは衝撃だった。人間に、ましてや監視の者などに、しかも刑ではなく、戯れでなど、打たれるべき方ではないのに。神の右に座する方なのに。

2.イスカリオテのユダ

サタンは人の心の隙にいとも簡単に入ってくる。主を信じないように人の心にウソを吹き込む。
信じないなら静かに離れればいいだけなのに、ユダは、ついこの間まで師と仰いでいたイエス様を、お金で売るというひどい仕打ちをした。
過越の食事の席で、イエス様はあらかじめ「人の子を裏切るその人はわざわいです。」と言われた。『わざわい』という言葉は、これまでパリサイ人や律法学者たちに向けられていた。警告されたにもかかわらず、ユダは『わざわい』となってしまった。

3.ペテロ

イエス様はこれから起こることを全てご存知だ。ユダだけでなく、弟子たち、ペテロをもサタンはふるいにかけることを。
イエス様は、あらかじめペテロに起こるすべてのことを教え、あらかじめペテロに赦しを与えられた。
「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
慈しみに満ちた言葉だと思う。

「剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。」
これから厳しい時代が来る、とイエス様が格言のように言われた言葉に、ペテロは「ここに剣が二本あります」と答える。
イエス様の言葉の意味が理解できないペテロは
「That’s enough (それで十分)=もういいよ」
と言われてしまう。

捕らわれたイエス様の後を遠く離れてコソコソとついて行く姿、捕まるのを恐れてイエス様を否定する姿も、もしかしたら、ペテロが一番許せないと思っていた者の姿だったのかもしれない。ペテロは外に出て激しく泣いた。
自分はそんなに悪い人間ではないだろうって心のどこかで思っている時、そんな思いが突然打ち砕かれる事がある。そして、私が義とされるのはただイエス様の恵みのゆえだと改めて気づく。

サタンに惑わされないように、神のことばである聖書のみことばをしっかり保ち、絶えず神様に立ち返る必要を感じる。それが私たちの唯一の武具だから。

4.過越の食事

かつて、神様の災いが子羊の血の塗られた家には過越され、出エジプトが完成した。イエス様の流される血の犠牲によって私たちの裁きは過ぎ越される。イエス様の血による新しい契約の時代へと移される。
「過越が神の国において成就する」
患難時代を過ぎ越してこそ神様の治める御国は完成される。

「わたしは苦しみを受ける前にあなたがたと一緒にこの過越の食事をすることを、切に願っていました。」

イエス様の弟子たちへの言葉に尽くせない深い思いが感じられる。でも、その思いは一歩通行であり、弟子たちは相変わらず自分たちの中で誰が偉いかなどと議論している。

5.ゲッセマネの祈り

オリーブ山でイエス様はひとり苦しまれ祈られた。石を投げて届く程の所にいた弟子たちの心は、遠く離れていた。
それでもイエス様は、「あなたがたはわたしの様々な試練の時に一緒に踏みとどまってくれた人たちです」と天国での祝福を約束して下さる、人の限界をもご存知の方だ。

「わたしの願いではなく、みこころがなりますように」
この祈りに、倣うものでありたい。

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参考---ルカの福音書22章(新改訳2017)---


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