知恵は呼びかける〜箴言8章〜ゆっくり通読しよう
①わたし
②主(太字)
③主
最初、三つの主語が使われている意味が気になりましたが、読み終えてみるとそれほど気にすることではないと思いました。神様はご自分のすべてを用いて全身全霊を傾けて、私たちに語りかけてくださっているということだからです。
"知恵"が自分のことを「わたし」と語ります。知恵は知恵として読むのが私にはしっくりきたので、擬人化された知恵として読みました。
「主(太字)」は聖書のあとがきによるとヤハウェと訳されている主の御名です。神様の位格の一つである父なる神の固有名詞です。
「主」は"知恵"が主と呼ぶ主、三位一体であり唯一の神様です。
神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」
出エジプト記 3:14a
「人を創ったのが神様なら神様は誰が造ったのだろう。」と思ったことはないでしょうか。
神様は時の流れに支配されることはなく、神様の前ではすべてのことが同時に起こっているのだといいます。人間にはあり得ない概念です。
同じように、神様の存在の概念もまた、私たちの理解を超えているもので、在るは在るでしかなく、神様は在る無しにさえも支配されない方なのだと思いました。
"知恵"は、主のみわざの初めに
「立てられ、生み出された」
とあります。
"知恵"は神様が天と地と人をつくる時、父なる神とともに働きました。"知恵"はそのことを喜んでいます。
"知恵"は言います。
賢く、良識を持ち、高貴で、公正、真実を告げ、不義を嫌い、正しく、真っ直ぐであるように。
それらがすなわち知恵であり、知恵はどんな宝石よりも、価値ある実を結ぶのだと。
"知恵"が神様とともに働くことを喜び楽しんだように、人が神様の傍らでともに働き、喜び楽しむ姿を想像しました。
永遠を神様とともに過ごすこと、それこそがもっとも価値あることなのだと思いました。
引用---聖書(新改約2017)---