自由にゆるく。
初めまして。橋本です。
今年から社会人となり、一週間のマナー研修を終えたところです。
このマナー研修を終えたらnoteを書き始めようとずっと考えていて、ついにこの時が来たかとウッキウキな状態。
でも何を書けば良いのか分からない。
大問題やな。
まぁ、誰かに見せようだの、誰かの為に頑張ろうなんて全く考えていないただの趣味なので、 "ゆるく" noteしていこうと思っています。
なので次の更新が一週間後なのか、一ヶ月後なのか。知りません。笑
それと、鍵アカウント?にして見えないようにする気もさらさらありません。
せっかくだしオープンでやっていきます。
けれど文章を考えるのが苦手で、文脈がめちゃくちゃだと思うので読むのはお勧めしません。
まぁとりあえず、なぜ始めようかと思い立ったのかを練習がてら書いて行こうかな。
自己紹介
名前は、橋本 岳樹(はしもと がくじゅ)
愛知県津島市出身・高校スポーツ推薦入学・京都芸術大学環境デザイン学科卒業・造園会社就職
と、だいぶざっくりとだけ。
この道を辿ることとなった経緯も書いていきたいな。
轍
まず僕は小学6年生から高校3年生までバスケットボールに人生をかけていました。人生をかけようと思ったきっかけそれは中学1年生の頃に一つ上のM先輩に言われた一言、「バスケ部はいらん?」こんな軽くいつでも言われそうな一言で始まってしまいました。笑
でも、何かに誘ってもらえることが嬉しすぎて大好きなサッカーをやめてまでバスケットボールに打ち込むことにしました。最初はもううんざりすることだらけだったけれど、後にキャプテンを務め、最後の夏大会を見ていたAR高校の監督と話をする機会をつくっていただき、監督の元でバスケットボールに尽くすことを誓いAR高校へ入学。
まあーーーーーこれが地獄の始まり。
全国大会出場を目指し、ひたすら練習の日々。中学がいかにぬるま湯であったのかを痛感したのを今でも感じています。もう記憶とかではなく現在進行形で今だに感じ続けている。
まずスタミナが少なく練習についていけない。バスケスキルが未熟。コミュニケーション能力の不足。
けれど当然のことながらチームで練習をするので、かなり迷惑をかけていました。少しでも早く体力をつけて全体についていきたい気持ちとは裏腹に、毎日の練習でボロボロで言うことをきかない身体。練習終わり自転車で30分弱の駅までの帰路で足がつり、1時間程かけて帰っていたのを今日の事かのように鮮明に覚えてる。本当に情けない。笑
そんな感じで、出だし最悪お先真っ暗トンネルに数日で進入していきました。それでもやはりチームについていきたい気持ちは失せなかったのでガムシャラに頑張りようやくなんなくこなせるようになったのが2年生ころ。遅い。非常に遅い。その間にも周りの仲間は着々とスキルアップ。はぁ。
そんな仲間とのギャップを埋めるがために練習終わりの自主練にかなり時間を割き、ほぼ毎日22時まで自主練。でも僕の成績は背伸びしただけ。それが今思い返せば当たり前でした。なにも考えずに自主練をこなしていただけで、「集中」せず、「夢中」になっていた。どういう事かと言うと、例えばシュート練習をする際にもディフェンスがいる。など、何も仮定せず、ただシュートをリングに通すだけの練習になっていた。なのでリングにボールを通すのは得意になったけれど、試合になればシュート率の上がり下がりが激しい上にディフェンスに構えられたら入らない。本当に馬鹿野郎。ドリブルにしろ、ハンドリングにしろ、ウェイトトレーニングにしろ、なにもかもそうだった。仮定・想像・予測。
全てを無視して練習していた。なぜなのか。”焦り”しかなかったから。今思い返せば目に見えてわかる。けれど、ただ単に「夢中」で練習をして視野が大幅に狭くなっていた。これが何もかもの元凶。友人・恋愛・家族・勉学。なにもかもに影響を与えてしまっていたと思う。
しかもそれを高校卒業まで気づかなかったのがまた最悪。
でも、唯一冷静に視野を広げて予想し判断を下せた物事があった。それが、
芸大に行くという進路決定
本当に良い判断だった。まじナイス。
初めは、今までバスケットボールに尽くしたこの知識・技術を使い活躍したいと考えてました。でもなぜか、「待てよ。本当に心の底からやりたいと思えてるか?」と、ふと思ってしまったのが、進路決定最終日。
その間に2、3回紙に書いて学校に提出していた内容が、アスレティックトレーナーの資格を取るための大学・専門学校への入学。オープンキャンパスに何度も足を運び、アスレティックトレーナーについても調べ尽くしていた。それでも自分の中のモヤモヤがなぜか晴れずにいた。そんな時に考え込み思い出したのが、幼稚園児のころ自然に触れまくっていた記憶でした。そこでエクステリア・外構の設計事務所を設立していた父親にある日、唐突、”自然に触れる仕事をしたい”というセリフをぶつけました。困っていました。笑 それもそうよな。だからどうしたいねんって話よ。
でもさすが親。ゆっくりと話をし、汲み取ってもらい、京都造形芸術大学を教えてくれた。オープンキャンパスに行った。初めてこのオープンキャンパスに行った時に、俺ここに行くんだって勝手に思い込んでいました。
そうしてAO入試を受け、合格してしまい、入学決定。いぇーい。
そんなとんとん拍子で始まった京都生活。
まあ京都生活楽しかったよね。充実しすぎたよね。
でも俺が楽しんでいる裏側では父親がお金を稼ぎ、学費・生活費などを納めてくれていた。本当に感謝しかなかった。これから着々と恩返しをしなくちゃ。
そんなこんなで、最高の知人・友人・恋人・恩師達と出会い、無事4年間ですんなりと卒業しました✌️
なぜnote?
はい、やっとここに辿り着きました。
大学生の間に多くの人と出会えることができました。その中でよく言われたのが、
” 何か一つのものを続けると良い。何でも良いから、何か一つ ”
本当に会う人会う人、何人もの人に何度も言われた。でもその時に何か始める事はなかった。やる気がないし、めんどくさい。でも、この言葉だけやけに頭の中から離れなかったから、卒業制作が終わったら何かを始めようと考え始めました。
そんな中始めたのが散歩。でも自分が気が向いた時だけやってた。でも続けていた。続けていく中で、様々な発見があり、なにか物・場所を見つけた事はもちろんあったけれど、それだけではなく、自分が何に対して興味があるのかに気がついた。これがまた面白く自分の事は自分が一番わかっていると思っていたけれど、全然わかっていない。この発見をするきっかけになったのが、散歩をする中での、一つのルール。それが一眼レフで一枚以上写真を撮る。
なぜ一眼レフか。買ったのに全く使っていなかったから。笑
でもこの一眼レフのおかげで、自分が残したいもの・見たいもの・写したいもの・伝えたいこと。様々なことを最近考えながら撮るようになっていた。これが継続の力かぁって思ったよね。その他にも一眼レフで上手く撮るために様々な設定をいじったり、良い写真が撮れそうな場所を探したり。なんか前よりも行動量が意識しなくても増えていました。
でも、卒業をしてしまったら、行きたい場所も限られてくるし、土日しか動けないとなると人が写真に入り込みなかなか撮れない。困った。
そんな時に思い浮かんだのが、この note!
以前のインターン先の人がやっていたり、先輩がやっていたり、卒業制作の際に役に立っていたり。意外と身近なSNSだけれど、周りにやっている人も少ない。
じゃあ、散歩の頻度が減る代わりにnote書き始めよう。ってなりました。
ルール
ただ僕一眼レフみたいに決まり事がないとやらないし、続かない人。
そんな中で決めたルールは、”やりたい時にやる”
なんかすごく続かなそうなルールを決めました!でもそうでもしなきゃいずれ楽しく書いていけなくなってしまう気がしたので。これくらいが自分にはちょうど良いかなって。
だから
これから自分の気分で更新し続けます。散歩の内容であったり、仕事に対しての愚痴だったり、今は行けないけれど旅行のことだったりと。
なので必然的に、内容も今日みたいに無駄に長い時もあれば、短い時もある。濃い時もあれば、薄い時もある。
まぁでも最初に言った通り、誰かに見せようだの、誰かの為に頑張ろうなんて全く考えていないただの趣味。人が公園とかででサッカーの練習をしている感じで見てください。内容なんて覚えなくてもいいです。僕に会える機会があれば何度でもお話しします。一番最初はインスタでnote始めるとか言ったけれど、これ以降のnoteは更新してもなにも言いません。フォローしてくれる人。気になって話しかけてくれる人。通知ONにしてくれる人。読みたい人は何かしらのアクションをしてくれていると思います。ですが、もちろん広めてもらえるのは大歓迎です。本音を言えばたくさん広めて不特定多数の人たちに読んでもらい、感想をもらいたいとことだけれど、そんな事し始めたら感想をもらうためにって僕は絶対に意識してしまう。
あくまでもこれは ”趣味” です。
でもできれば感想は欲しい。ほんまわがままやなぁ笑 申し訳ありません。
という感じで
First noteはこんな感じで閉じさせてもらいます。
これからも読んでいただける方は、これからも宜しくお願い致します。
あ、お別れは最近散歩したお気に入りの写真貼っておきます。
最後まで読んでいただきありがとうございます。