AIによって法律は変わるか

法律等の規定では、人間の理解を容易にするために、しばしばシンプルな数値が使用されている。例えば殺人罪は「死刑または無期もしくは5年以上の懲役」また建築基準法においては、居室の採光は「床面積の1/7以上」といった様に、単純化された数値がある。

しかし、建築物の採光でいえば、建築基準法の目的は「健康的に居住できる事」なので、例えば「平均的な日中の机で読書や作業が支障なく行えて快適であるよう、何ルクス以上あればよい」といった事が本来の目標だ。

これを実現する為にどのような規定があればよいかという事で、実験・経験等により概算され定められたのが、今の法律の「1/7」という分かり易い数値だ。

これが、もし敷地の緯度経度、建築物の方位、開口部の形、壁面反射による反射光などの全てを評価できるAIが、無数の手戻りを厭わず設計を行うなら、先に挙げた「平均的な日中の机で何ルクス以上の明るさを確保」といった目的だけ与えられれば十分な訳だ。

防具で喩えるなら、「人間を守る盾の大きさは、横1m、縦2m、厚さ5mmの鉄板としなければならない。」というものが従来の規定であったとする。それがこれからの規定では、盾は個人の体型に合わせた形で良いことになり、その形や材質、厚みは敵の武器の性能によって算出された複雑な数式で表される様になる。(これを文字で記述する事は出来るが、重要なのはそれを演算する処理そのものであって、あえてテキストで表現する事には記録保全以上の意味はない。)といった種類の変化が起きるだろう。

こうなると、最終的に実現すべき「目的」以外には、その為の途中経過は、人間には理解不能なほどに複雑化するだろう。(採光計算程度ならば大した事ではないが。)
現に、従来は「このような材質で、このように作ること」とあらかじめ仕様で決められていた規定の他に、様々な計算式を含む処理を行って所定の性能を実現すればよいとする、告示等による仕様も認められる様になっている。

現在の他の法律も同様だ。人間が運用するためのルールブックとして書かれているため、人間の知性の範囲に合わせた記述がされている。
しかし、それでは現実の複雑さに対してカバーしきれないため、個別の事情を評価しギャップを埋めるために人間の判断を用いている。そして法律の専門家は、そのギャップを埋めるための知識とノウハウを蓄積する事を職能として報酬を得ている。

つまり「法律の専門家」とは、人間の限られた知性で運用可能なレベルで記述せざるを得ない法律の中の損益分岐点に関する知見を収益化している者、と言える。
現在、大部分の人間は複雑な法律に習熟するほどの能力が不足し、あるいはその様な事に人生のリソースを割く余裕は無いため、その一点に注力した者に報酬を払って損益分岐点を教えて貰っているのだ。

しかしこれも、法律にギャップが存在するからであって、誰もが納得するジャッジをAIが行う事になれば、ルールの損益分岐点を探る行為自体が不要になる。

司法が扱う人間の感情が絡む複雑な問題は、人間でなければ取り扱えないという意見があるが、これは間違っていると思う。むしろ、司法に人間が介在するからこそ、より自分に有利に運べる余地があると期待し、人は諦めが悪くなるのだ、と思う。人間の販売員にいつまでも苦情を言い続ける顧客は、相手が人間だから何かが変わると期待して執着するのであって、定時になって取扱を停止した機械をいつまでも動かそうとする人間は居ない。司法を複雑にしているのは、人間なのだ。


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