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【北大阪モノレール】今回は横道にそれて、巨大交通企業グループがまだベンチャーだったころのお話

毎回、大阪府北部の北摂地域で、これから新しい交通事業にチャレンジしようという「北大阪モノレール」プロジェクトについて紹介していますが、「北大阪モノレール」そのものについての記事はちょっとお休み。今回は、JRグループを除く鉄道会社では日本一の規模を誇る「近鉄」の草創期の頃に触れたいと思います。
資本金1,264億円越、売上高1兆6,200億円越という巨大な企業グループを形成している「近鉄」ですが、今から110年前は、この先どうなるかもわからない小さな交通系のベンチャー企業でした。今回ご紹介するのは、そんな頃のエピソードです。



お賽銭に救われた電車

宝山寺ほうざんじ

大阪と奈良の県境に横たわる生駒山の中腹に『生駒の聖天さん』と呼ばれ、人気、商売の神様として賑わうお寺、宝山寺があります。大阪の街からお参りに行くには近鉄電車が便利ですが、この近鉄電車と聖天さんの間には、参詣客の輸送というだけにとどまらない、深い関係があります。

生駒山の中腹にある「宝山寺」

大阪と奈良を一直線に結べ!交通系ベンチャー「大軌だいき

「近鉄」の前身、大阪電気軌道(大軌)は創立したてのころ、今の「近鉄」からは想像もつかないほど小さな会社でした。そんな小さな会社が「生駒山をぶち抜く」と、当時としては日本有数の長さになる生駒トンネルを掘削して、大阪と奈良を一直線に結ぼうと工事を始めました。
「小さな会社にそんなことは無理だ」という声もありましたが「大阪と奈良を電車で一直線に結んでみせる」と社長は意気込んでいました。

大軌奈良線(現在の近鉄奈良線)と生駒トンネル

案の定、トンネル工事は困難を極め、悲惨な事故も起こり会社は開業前に早くもピンチに陥ってしまいました。
しかし、工事を請け負った大林組が、採算云々を度外視し、自社の社運までもかけて協力したこともあり、生駒トンネルはじめ線路は何とか開通し、電車は走り始めました。

開通直後の大阪電気軌道 生駒トンネル
出典:Wikipediaより(パブリックドメイン)

いきなり崖っぷち経営

難工事の末に開通した奈良線。生駒トンネルの工事で会社の資本金は底をつき、会社の経営は早くも崖っぷちに陥ってしまいました。
どのくらい崖っぷちだったのかというと、電車を動かす電気を発電するための燃料を毎日、現金買い●●●●したり、従業員に支払う給料を駅の売上金をかき集めて払ったりといった具合です。
そして、とうとう駅の売上金をかき集めても、従業員の給料が払えなくなってしまいました。さあ大変、責任者は頭を抱えてしまいました。
そのとき助けてくれたのが『生駒の聖天さん』です。何とか助けてもらえないかと訪ねてきた責任者に、集まったお賽銭を貸してくれたのです。だからその時の給料袋は重かったと。
その後もお賽銭を借りたのかどうかはわかりませんが、おかげで「大軌」は苦境を脱しました。

宝山寺の参道

人々の「願う心」とつながったベンチャー企業

聖天さんのお賽銭。どんな願いが込められていたのかわかりませんが、人々の何かしらを願う心が、大阪と奈良を一直線で結ぼうというベンチャー企業を救ったのです。
お賽銭に救われた「大軌」は、宝山寺へ上るケーブルカーを造り、おかげで『生駒の聖天さん』へは楽に行けるようになりました。それから会社は「近鉄」となって、街を造り、バスを走らせ、百貨店やホテル、遊園地、そしてプロ野球球団を運営して、人々の夢を少しは叶えてくれたのかもしれません。

近鉄グループの本拠地 大阪上本町

人々は今、何を願っているのだろうか

「大軌」は宝山寺からさらに上、生駒山の頂上にケーブルカーを伸ばし、生駒山の山頂に遊園地を造りました。
鉄道会社が運営する遊園地は閉鎖が相次ぎ、昔の思い出として語られる存在になってしまいましたが「生駒山上遊園地」は今も健在。ここから見る夜景は何かしら忘れられないものがあります。
21世紀も4分の1が過ぎた2025年、人々はこの夜景を見ながら、今度は何を願っているのでしょうか。

生駒山から見た大阪の夜景

「北大阪モノレール構想」について参考情報

本連載「北大阪モノレール構想」への提案とは

北大阪モノレール準備室のホームページ


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