ユートピアでの正しい死に方
扉を開け入った部屋には、ベッドだけが置かれていた。何もないその部屋にぽつんと浮かんでいる柔らかいクリーム色の孤島。
そこに包まれていた者が、僕に気がついて体を起こす。
「あぁ、来てくだすったのですね」
僕ははい、と頷く。相手のしわくちゃな顔にさらに深くしわが刻まれる。笑ったのだ。
「よろしくお願いします」
そう言われてから、僕は準備をする。
彼の死の準備を。
今から二百年とちょっと前。
人は半永久的に生きられる方法を見つけた。科学の面からみると半永久的ではなく永久に、なんならこの世の終わりまで生きることが出来る。誰もが不老不死を望める世界。
けれど、永久に生きられるのはほんの僅かな人たちだけ。世界に大きく貢献をしている(ようにみえる)人達の殆どはもう百年以上は生きているはずだ。
普通の人間には必ず終わりが来る。
それが法律の中にある。
青い紙がきたら10日以内に死ぬこと。
老人は白い襟の無いシャツに細い身を包んでいた。
真っ直ぐに僕の目を見つめるその老人のシワシワな手の下には、鮮やかな青色の紙がある。
老人は肉のあまりついていない細い指でつかみ僕に渡した。
「これを」
「ありがとうございます」
紙の色に目がチカチカする。表面がつるりとした紙に、僕は手をかざした。
偽造はされていない。正真正銘の死亡推奨証明証。青服の者ーー僕のことだーーが訪問してくるため、10日以内に手続きをしなければならないという内容の文章が書いてある。
「いつ来るのだろうと、思っていたのですよ」
老人はにこりと笑いかける。
「まさか、最期を看取ってくれるのが可愛らしい男の子だなんて」
「可愛らしい、ですか」
僕は鏡を見たくなった。僕のどこが可愛らしいのか気になったからだ。
「すみません。私の孫と同じくらいで、つい親近感が湧いたのです」
困った様子の僕に彼が付け加える。
「あぁ、そうでしたか」
とりあえず頷く。
「まさか、こんなに長く生きられるだなんて」
青紙から彼の情報を読み取る。
成田朝次、85才。容姿と年齢が程よく釣り合った人間。
「きっと、社会に貢献されていたのでしょう?」
「そんな。私よりも貴方の方が社会に貢献されているじゃないですか」
彼が謙遜し述べた言葉に、僕は薄く笑った。本当にそうだろうか。少なくとも彼にはそう見えるらしい。
「とんでもない」
僕は目の前の老人の情報をコンタクトに映される画像を見ながら、老人と話をする。
「私は、ごく普通に生きてきました」
確かに、彼の言うとおり。彼の生涯については、特筆すべきものはなかった。
平凡な日々。若い頃は青春を謳歌、勉学に励み、その後就職。結婚し子供も産まれ、今は四人の孫がいる。
「幸せな毎日でした」
老人は大きく深呼吸をした。
「遺言はもうそちらの方に送りましたが、何か不備はございましたか?」
「いいえ」
首を振る。彼は二日前に親族に対する遺書を役所に送った。そこで審査を受け不備があれば書き直すが、彼の遺書は難なく審査をクリアした。そのほか諸々の書類の送付や説明も昨日までに済んでいる。
あとは死ぬだけ。その心臓を、脳を、身体の機能すべてを止めるだけ。
僕の視界の右端に映る青を基調とした映像。僕にしか見えないその四角い映像の中央には黒い字で『死亡手続き開始を開始しますか?』と書いてある。
「死亡手続きはもう可能なのですか?」
老人は穏やかな口調で僕に尋ねる。
「はい。よろしいですか?」
「ええ」
肯定した老人。僕は先ほどの映像を視界の真ん中に移動させた。
『死亡手続きを開始しますか?』
その下には、証明書と同じ色をした丸いボタンがある。僕は指で触れた。老人にはきっと、僕が急に腕をあげた風に見えているのだろう。
ボタンを押し、証明書にある老人のIDを打つ。
「これで、手続きは完了です。あと三十秒で貴方は死にます」
僕はそう告げた。老人はにこりと笑う。
「では、ベッドで寝させていただきますね」
老人はそう言ってベッドで仰向けになる。枕元には彼が妻や娘達、孫、大勢の家族に囲まれた写真があった。それを老人は手にとって、胸の前で大切そうにかかえる。
そして、目を閉じる。
ふうぅ、と彼は小さく息を吐いた。
僕の頭の中に、無機質な声が流れる。
『成田朝次の死亡が確認されました』
その声を受け僕は画面を閉じる。
部屋から出ると彼の娘が待っていた。
黒い服を着た彼女は僕を見ると微笑む。
「本日は父のためにお越しいただきありがとうございました」
丁寧に頭を下げるその手はかすかに震えていた。
「手続きは完了しました。後処理は他の者が参りますので」
「はい」
それでは、と家を後にする。
家の中では誰かがひっそりと泣いていた。
それを宥める声も、どこか沈んでいる。
静かな悲しみに満ちたその家から出ると、僕の服は青から黒に変わった。
今日の仕事はこれで終わり。
人の死の手助けをして、僕は生きている。
あの老人と同じように、僕は毛布に包まれた。毛布の中は暖かい。老人の寝ていた毛布も暖かかったのだろうか。真っ暗になった部屋の天井を眺めながら思う。
僕が目覚めなくなるその時はずっと遠い先にある。
あと何回も目を閉じ、そしてまた朝日の中で目を開ける。
それまで、僕は沢山の人の死を見る。
それが、僕の仕事だから。
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