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サッカー指導者の説得力と環境の力

サッカーのように、プレーの連続性が高く人間の機動力に比べてグラウンドが非常に大きいスポーツでは、指導者の説得力が重要な役割を果たす。ここでの説得力というのは選手を説き伏せる力ではなく、選手からの自律的なコミットメントを促す力のことである。

「走り」について考えてみよう。サッカーで求められる走る量や激しさは選手に大きな負担を強いる。90分の試合で10km程度を走り、そこにはダッシュや急激な方向転換も含まれる。いくらプロ選手のアスリート能力が高いとはいえ、これほどの運動を週一以上のペースで強いることは選手にとって負荷となりうる。

この負荷を苦痛と感じないチームは強く、そのようなチームに導ける人はいい指導者であると感じる。では、どのようなとき人は負荷を苦痛と感じないだろう。ひとつには、自分のうちから湧き上がってくる欲求をもとに負荷を負っている時だろう。

例を出そう。試合終了間際1-0であなたのチームは勝っている。同点に追いつくため、相手GKも上がってきたコーナーキックをあなたのチームメイトは大きくクリアした。あなたは相手の選手より数mゴールに近い。点差を2-0にする大チャンスだ。ボールは相手ゴールに向かって転がっているが、ゴールをするにはあなたがボールに追いつき、シュートしなければいけない。そのためにはあと40mほどを全力疾走する必要がある。

この場合では、負荷(40m全力疾走)と報酬(ゴール)の関係が明らかである。目の前の状況があなたに及ぼすチカラはあまりにも大きく、あなたは誰に言われることもなく喜んでその40mを走るだろう。これが「内から湧き上がってくる欲求」である。何かに導かれるかのように身体が勝手に動くのである。

しかし、サッカーの試合において負荷と報酬の関係が、誰が見てもこれほど明らかであることは稀である。
あるストライカーはポジションを取り直さない。あるウィングはプレスバックをしたがらない。あるサイドバックはオーバーラップの後、自陣にジョギングで帰る。
これらの行動は、その善し悪しはさておき、「ポジションを取りなおしたくなる」「プレスバックをしたくなる」「自陣に急いで戻りたくなる」力が環境から働いていないことを示唆する。そして負荷と報酬の関係性が複雑になるほど、その力は働きづらくなると考える。

複雑にもつれがちな「負荷・報酬の関係」をときほぐし、選手をそのしがらみから開放してあげることは、指導者が果たせる大きな仕事なのではないだろうか(「関係」には戦術的なものだけでなく、人間関係なども含まれる)。

選手に「内から湧き上がる力」と「『内から湧き上がる力』を組み立てる力」を与え、そのような個人が繋がる環境を作ることが大事だとした時、指導者に何ができるのだろう。

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Gota Shirato / 白戸豪大
ありがとうございます。