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浦和レッズ歴代外国籍選手おぼえがき(〜2005)

こんにちは。

Twitter, note界隈で盛り上がってるコレ

レノファ山口歴代外国外国籍ずかん

ジェフユナイテッド千葉 歴代外国外国籍列伝

外から眺めてたのですが、浦和編を発見し選手に対する思いって一人ひとり違っていいなとおもったので自分の思いをまとめてみます。便乗です。

題して
浦和レッドダイヤモンズ外国籍選手おぼえがき

2005年以前に所属した選手が中心です!
スタート

2000年〜2005年

エメルソン🇧🇷🇶🇦

マルシオ・エメルソン・パッソス(1981年9月6日生)こと、エメルソン・シェイキこと、マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ(1978年12月6日)

これだけでネタみたいになってしまったが、大好きだった選手の一人。ゴールがとにかく理不尽すぎて神として崇められていた。レッズの理想のFW像としてエメルソンを引きずってる人もいるんじゃないかと思う。

オフト時代は、「エメルソンより前に行くな」という戦術エメが存在していたらしい。

レッズにいたときは新シーズンのチーム合流に遅れることが毎年の恒例となっており、批判されることも多かったけど、ブラジルの家庭の事情が理由だったらしい。好きな選手だったのでそう信じている。ブラジル文化との違いをそのときに学んだ。

2004年に26試合27得点でチーム二人目の得点王。ステージ優勝ながら2つ目のタイトルも取って2005年も爆発が期待された。が、シーズン途中で中東へ電撃移籍。山瀬の移籍と連続したこともあり、浦和サポの深い傷となっている。

移籍後はカタール国籍とり、カタール代表になり、カタール代表の資格を剥奪され、ブラジルに行って気づいたらクラブW杯出てた。

ともあれサッカーファンに夢を与えてくれた選手であることは間違いなく、今でもやっぱり応援してしまう。

マリッチ🇭🇷🇩🇪**

カッコ良すぎるポニーテール。

エメルソン退団後、2005年途中からポンテと共に加入。

エメルソンの退団、ポンテとマリッチの加入は浦和レッズ史の中でかなり大きなターニングポイントになったのではないかと思う。

半年間のプレーながら、天皇杯で5試合6得点の活躍で優勝に貢献。試合後鳴り止まなかったマリッチコールは忘れられない。

「この選手が退団しなければならないってど何事?」と思っていたが翌年納得。

エメルソン、マリッチと続いた浦和外国籍FWの系譜はワシントンに続く…

浦和退団後はスタジアムがめっちゃきれいなホッフェンハイムに移籍し、当時3部だったチームを2部昇格に導いたと思う。

トゥット🇧🇷

ゴールパフォーマンスが走りながら上半身バタバタさせる独特なもので、そこだけ真似した。

「ミッキーマウスのマーチ」がチャントの原曲で子供にとっては覚えやすい選手だった。

本名はリボニール・ルッシェル。サッカー選手の登録名と本名は一致しないことをこの時学ぶ。登録名とかチャントとかって新規層には大事ですねやっぱり。

浦和で一回エメルソンと一緒にいるところを見たことあるけどその直後に退団してしまった。

当時は全く思わなかったけど、レザボア・ドッグス出てそう。

アドリアーノ🇧🇷

僕がギリギリ物心ついた頃の選手

直接フリーキックかライナー性のミドルシュート決めてた気がする。ウイイレの記憶かもしれない

浦和で一回エメルソン、トゥットと一緒にいるところを見たことある気がするけど確かではない

ほとんど記憶に無いけど「アドリアーノ」と聞くと必ず頭に浮かぶ、そんな選手

ゼリッチ🇦🇺

The COLT ガイ

オフィシャルハンドブック見るたびに経歴の長さに圧倒された。

プレーしたのは実質2003年のみで、DFながら2得点を記録。

市原戦の同点ゴールが記憶に残ってる。

リベロとは何かを教えてくれたDF。レッズにとって初のタイトルとなるナビスコカップ優勝をもたらすも、優勝メダルは何者かに盗まれる。

ニキフォロフ🇺🇦🇷🇺

ミルコ・クロコップ感ある

「日韓ワールドカップで日本と対戦し、シュートを打ったDF」みたいな印象だった。一発退場も厭わない闘志あふれるプレーでチームを引っ張った。

もともとCIS代表だったのが、ソ連崩壊によりウクライナ代表を目指し、ワールドカップ出場のためにロシア代表になった。実は歴史を生きていた選手。

浦和でゴール決めてそうな印象があるが、公式記録には残っていない。

なお、「ニキフォロフ」でググると銀髪の華奢なイケメン画像がでてくる。

アルパイ🇹🇷**

ニキの系譜を継ぐ人。タフガイ。

カップ戦あわせて22試合ほどしか出場してないらしい。ニキフォロフもあるパイも1シーズンほどの在籍期間で強烈な印象を残してるのは、タイトルを取った年の選手だからかもしれない。

ネネ、闘莉王と凶悪な3バックを結成。途中出場ながら2004年のステージ優勝に貢献する。ニキに続きその闘争心あふれるプレーで浦和サポの心をわしづかみにするも、2005年シーズンの開幕戦でハーフタイム中に鈴木隆行をわしづかみして一発退場。出場停止明けの大分戦も闘争心ダダ漏れで退場し、そのままチームを去ってしまった。

現在はトルコのサムスンスポルで監督をやってるらしい(出展Wikipedia)

浦和サポがたまに言う「闘える選手」は彼らを見るとイメージしやすい。浦和には今もロシアやトルコの風が吹いている。

ネネ🇧🇷**

「赤ちゃん」の異名を持つ

ブラジルの名門や、スポルティングやヘルタ・ベルリンという欧州クラブを経て浦和に加入。得点感覚に優れた高身長DFで、クロスを闘莉王がヘディングで折り返し、そこにはワシントンとなぜかネネが待っているみたいな理不尽なシーンが良く見られた。。

「ネネ=股間シュート」とか「ネネ=オウンゴール」とか変な印象があるけど昔の自分に理由を聞きたい

現役を見れてない人たち

オスバルド・サルバド・エスクデロ🇦🇷

セルヒオ・アリエル・エスクデロ🇦🇷

どっちかが競飛王エスクデロのお父さんで、もう片方がおじさん。

「親子で同姓同名にしないだろ」とセルヒオがおじさんかと思うと、それは罠。姓名ミドルネームまで全部一緒。

上原エドウィン🇵🇪🇯🇵

オフィシャルハンドブック見たときに「このジーパンみたいな選手は誰だ」と思った記憶

ペルー出身で、浦和入団の際に帰化したらしい。
帰化前の名前はエドウィン・アレハンドロ・ウエハラ・カネコ

海外選手の家族の歴史を名前に背負ってる感じ好きです

ルル🇨🇿🇸🇰

僕が生まれた年にレッズでプレーした選手

ハットトリックしたのに負けたしりとりでお世話になったなどの記憶がある

日本に来る前後でチェコ・スロバキアリーグ、スロバキアリーグの得点王になっている。凄い選手だったみたい

ウーベ・バイン🇩🇪

ワールドカップ優勝メンバーとしてギドと共に来日。福田正博のゴール集でウーベ・バインを絶賛してた記憶。ウーべはスルーパスのタイミングが完璧らしい。

ギド・ブッフバルト🇩🇪**

浦和では選手、監督両方で名前を残す。

初代「闘志あふれる外国籍DF」かもしれない。Jのお荷物と揶揄された浦和を闘えるチームに引っ張ってくれた。退団時には白馬に乗って駒場を闊歩するという逸話も。

2004年に監督就任。オフトが作り上げたチームの規範をベースに、闘志むき出しで選手を鼓舞。ステージ優勝、天皇杯優勝連覇、リーグ優勝とチームの黄金期を作った。

彼が築いたとされるドイツとのコネクションは、ポンテに引き継がれる。

「いい時代」の浦和の象徴

ペトロヴィッチ🇲🇪

浦和では選手、監督両方で名前を残す。

97年から浦和でプレーし、闘争心あふれるプレーで例に漏れずサポーターから愛されたようだ。

一方、監督としての評価は選手のときほど高くない。2011年に監督就任するも、プレシーズンで当時J2の鳥栖に破れて「おや?」となり、最終的にはチームを降格寸前の状況に追いやってしまい解雇となる。クラブのOBやレジェンドを監督にすることの難しさを学ぶ。

なお、浦和の監督史は@urawareds96さんの記事が詳しいです。

チキ・ベギリスタイン🇪🇸**

バスク出身らしい、知らなかった。

レアル・ソシエダ、バルセロナ、デポルティボラ・コルーニャと国境付近のスペイン名門クラブを渡り歩いた後、浦和へ。

選手としての活躍よりもバルセロナやマンチェスター・シティでのディレクターとしての活躍のほうが僕にとって馴染み深い

エジムンド🇧🇷

それはきっと幻…



Wikipediaに下のような記述が。

現役引退後はFOXスポーツなどの解説者を務めている。2016年11月には、同月30日にコロンビア・メデジンで開催される予定であったコパ・スダメリカーナ2016決勝1stレグの解説のため、シャペコエンセの遠征メンバーと同じチャーター便に搭乗する予定であったが、直前にキャンセルとなったため、ラミア航空2933便墜落事故の遭遇を免れた。なお、元ブラジル代表のマリオ・セルジオ・ポンテス・デ・パイバ(英語版)が、エジムンドの代わりにシャペコエンセの遠征に同行し、墜落事故に遭遇して命を落としている。


ブラジルやフィオレンティーナなどでルイ・コスタ、バティストゥータ、ロマーリオらと共にプレーするなどの経験を引っさげて来日。東京ヴェルディでも活躍し、その後浦和へ移籍したが監督のオフトと合わずにリーグ戦未出場のまま退団。フィオレンティーナでのカーニバルのために優勝争いのさなか帰国するなど自由な振る舞いをしていたため、オフトとはおそらく人生観的な部分で合わなかったと思われる。

以上!


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Gota Shirato / 白戸豪大
ありがとうございます。