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多様化よりも非均一化
2021年8月15日の下書きを発掘したのでここに成仏いたします
多様化という言葉について。もしかしたら、苦手かもしれない。
多様性、はわかる。違うかたち、色、考え方みたいなものがある様子を表している。
でも多様化という言葉からは、なんだか何もないところに無理やり枝葉を生やしたような、ないものねだりと後付け感を感じる。
もう少し細かくいうと僕が違和感を持つ表現は「多様化を目指す」である。
多様化と一口にいっても、想定する場面によって考えることは変わってくる。ここでは小学校のクラスでの多様性について考える。
もともと多様な人が集まっている。そこにさらなる「多様さ」を植え付けること(→多様化)は可能なのだろうか。
小学生がもともと持っている個性がどこかで花開くように、その芽を摘まないようにすること、そしてその未来への種を出来るだけ広く隅々まで運ぶことのはどうだろう。
そのために「非」均一化。均一化に逆らっていきたいという主観も入ってます。
非均一化とは、均一化をしないこと。もしくは均一化に逆らうこと。「小学生の集団はもととと均一ではない」と前提づけると、均一化とはつまり何もしないこと。
課題。何もしないことvs効率性・生産性。非均一な制約を与えながらいかに生産性を高められるか。特に短期的に。
課題。ウチウチで固まってしまわないようにする。新しい風を怖がらないようにする。新しい風は常に自分の近く、同じクラスにもに吹いていると知る。
あとがき
「多様化」という言葉を書いていて、気づいたことは多様化と言っても手段と結果の二つがあること。「結果としての多様化」は多様性に近い。僕が苦手かもしれないと思ったのは手段としての多様化だったのかもしれない。
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