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【ドバイ便り】vol.4:夜空の噴水と自分第二章

場所を移動し、わたしたちは食事をすることにしました。メニューが全くわからないわたしは店員さんのオススメにお任せしましたが、出てきた白身魚とジャガイモのオーブン焼きのようなものは、意外にも単調な味でした。

でも、それはこの後に待ち受けている感動の前座に過ぎないことを、その時のわたしはまだ知りませんでした。

食事を終えて外に出ると、ドバイの夜の空気が肌を包みました。
昼間の灼熱とは違う、どこか神秘的な暖かさをもった空気です。

ドバイモールの周辺には、世界中から集まった人々が行き交い、それぞれの言語で会話を交わしています。
その光景は、まるで現代のバベルの塔のようでした。

タカさんは、わたしを噴水ショーを見ることのできるレストランに案内してくれました。
レストランのテラス席からは、ブルジュ・ハリファと噴水の全景が一望できます。
「ここなら、最高の景色が見られますよ」
というタカさんの言葉に、わたしは期待で胸を膨らませました。

8月前のドバイ。
夜も蒸し暑く、息が詰まるほどの熱気が漂っています。
わたしはハイボールを飲みながら慣れないその暑さに耐え、ショーが始まるのを待ちました。

時間が近づくにつれ、噴水の周りには人だかりができ始めていました。
家族連れ、カップル、友人同士、一人旅の人々...。
様々な人種、年齢、スタイルの人々が、同じ方向を見つめて待っています。
その光景自体が、既に一つの壮大なショーのようでした。

銀座の小料理屋で飲むハイボールと同じ値段であることに驚きながら、ほろ酔い気分でぼんやりとしていると、突然それは始まりました。

初めて見るその巨大な水柱は、まさに息をのむ光景でした。

最初の水柱が立ち上がった瞬間、わたしの心臓が大きく跳ねました。
想像をはるかに超える規模の水の芸術。
音楽に合わせて踊るように動く水は、まるで生きているかのようでした。
ライトアップされた水柱は、夜空に向かって伸び、そして優雅に弧を描いて落ちていきます。

「世界って、こんなに広いんだ…」

その言葉が、わたしの口から自然とこぼれ落ちました。
それは単にアトラクションを見ただけの感嘆の言葉ではありませんでした。
わたしの中で、何かが大きく動いた瞬間でもあったのです。

それまでのわたしの世界は、どれほど狭かったのでしょうか。
日本という島国で、決められたレールの上を、決められた速度で進んでいく。
そこから外れることを恐れ、新しいことに挑戦する勇気を失い、自分で自分の可能性を制限していた。
幾らそれに抵抗しても、大きな力で潰されていく。
やがてどこかで無意識に諦めていることもありました。

でも、目の前で繰り広げられる光景は、そんなわたしの価値観を根底から覆すものでした。
砂漠の中に、人々は夢のような世界を創り出していたのです。
不可能を可能にし、想像を現実にする。
その壮大な挑戦の証が、今、わたしの目の前で輝いていました。

人間は、想像できる範囲内でしか生きられないと言います。
過去の経験が、未来への判断基準となる。
でも、その範囲を広げる方法はある。

それは「新しいことを知ること」。

そして今、わたしはその過程を身をもって体験していました。

ドバイという地を知り、実際に体験することで、わたしの意識は突然文字通り宇宙のように膨張していきました。
それは、まるで魂が身体という殻から解き放たれ、大きく羽ばたいていくような感覚でした。

噴水のショーは、単なる観光アトラクションではありませんでした。
それは、人間の可能性の象徴でした。
何もないところから、たくさんの両手でこれほどまでの美しいものを創り出し、抱え、支えていく。
そして、それを世界中の人々と分かち合う。
その寛容さと創造性に、わたしは深い感銘を受けました。

日本にいた時、わたしはいつも何かに縛られているような感覚を抱えていました。
出る杭は打たれ、努力は馬鹿にされ、突出することは避けるべきこととされる。
メディアは誰かの些細なスキャンダルで騒ぎ立て、横並びの価値観が社会を支配している。

一度レールから外れると、もう戻る場所はない。
そんな恐れを抱えながら、わたしは経営者として歩んできました。
ある程度の安定を手に入れても、どこか居心地の悪さを感じ漠然とした不安に苛まれ続けていたのです。

でも、ここドバイには、それが存在しませんでした。

むしろ何もないことが、最大の可能性を生み出している気すらしました。
制限がないからこそ、純粋に「世界一美しいもの」を追求できる。そして、それを実現する力を持っている。

かつて何もなかった自分。
これまでに美しいものを生み出すことができているのだろうか…

ここには、拒否という概念すら存在しないように感じました。
多様性を受け入れ、新しいものを歓迎し、可能性を制限しない。
その懐の深さに、わたしは価値観をひっくり返されるような感覚をおぼえました。

「在」と「無」が表裏一体であることを、この地で初めて理解したような気がします。
何もないところだからこそ、何でも生み出せる。
制限がないからこそ、最高のものを追求できる。
その逆説的な真理が、わたしの心に深く刻み込まれました。

そして、最も重要な気づきがありました。
「自分を縛っていたのは、ほかならぬ自分自身だった」
ということです。

わたしは、どれほど自分と人間の可能性を過小評価していたことでしょう。
目の前にあるこの壮大な光景を作り出したのは、同じ人間です。
そして、彼らはその美しさを独占することなく、惜しみなく世界中の人々と共有している。

その寛容さと創造性に触れ、わたしは自分の人生の可能性をまだまだ知らなかったことを痛感しました。

この地で「自分第二章」を始めようと決意したのは、そんな気づきがあったからです。

それは、まさに一目ぼれのような感覚でした。
理屈ではなく、魂が共鳴するような体験。
この瞬間から、ドバイはわたしの「推し」になったのです。

噴水ショーは、あっという間に終わりました。
光と水の饗宴が終わると、人々は何事もなかったかのように会話を再開し食事やお酒を楽しみ始めます。
まるで、先ほどまでの魔法のような時間が夢だったかのように。

でも、わたしの中では、何かが確実に変化していました。

タカさんに無理を言って、わたしたちは噴水ショーを3回も見ました。
3回目が終わった後、わたしは外見は何も変わっていないのに全くの別人間になったような気がしました。

心からあふれ出る感情に導かれるように、目から涙がこぼれ落ちました。
それは悲しみの涙でも、喜びの涙でもありません。
自分の中の何かが溶け出して、新しい形に生まれ変わろうとしている。
そんな不思議な感覚の涙でした。

この夜、わたしは人生の大きな転換点を迎えました。
それまでの人生を「下らない」と形容していた自分に別れを告げ、新しい章を始める決意をしたのです。
それは、まるで砂漠に降り立った一粒の水滴が、やがて大きな噴水となって天に向かって舞い上がるように。

暑い夜風が頬をなでる中、わたしは深く息を吸い込みました。
この空気の中には、無限の可能性が溶け込んでいるような気がしました。

そうして、わたしはこの「下らない」と思っていた自分の人生に、自ら「第二章」という新しいページを加えたのです。

これは終わりではなく、新しい始まり。
この地で見つけた可能性という種が、これからどんな花を咲かせるのか。
その答えを探す旅が、この地から始まった瞬間でした。

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