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【ドバイ便り】vol.5:孤独という名の美しい贈り物

巨大な噴水が描いた光と水の饗宴の余韻が冷めやらぬまま、ホテルに戻ったわたしは、その夜からドバイのことを必死に調べ始めました。

生活、言語、法律、文化、歴史…。
まるで宝探しのように、あらゆる角度からドバイという街を知ろうとしたのです。
わたしの中で芽生えた小さな「可能性」という種が、どんどん大きくなっていくのを感じながら。

それまでのわたしは、日本からほとんど出たことがありませんでした。
たまに韓国へ肌管理に行ったり、東南アジアを観光で訪れたりする程度。
そんなわたしにとって、ドバイはあまりにも遠い存在でした。
出発前に地図で場所を確認したくらいで、中東の知識など皆無に等しい。
まして、この地に移り住むなんて、当時の自分には想像もつかないことでした。

次々と浮かぶ疑問の数々。
仕事はどうする?生活は?家は?言葉の壁は?ビザや健康保険は?…
それは、わたしにとってまるで途方もない夢物語のように思えました。

海外移住。

それは、わたしの人生の選択肢の中に一度も存在しなかった道でした。
少なくとも、この地ドバイに来るまでは。

つてもなければ当てもない。
遥か遠く離れた場所で、ただ一人。
ネットに漂う真偽不明の情報だけを頼りに、わたしはドバイでの生活を想像していました。
空港で仕入れたウイスキーを、近くのコンビニで購入したほぼ炭酸のない炭酸水で割りながら、パソコンに向かい続けました。
気がつけば、そのまま気絶し朝を迎えていました。

「おはようございます!本日の予定はどんな感じですか?」

朝一番にタカさんに送ったメッセージ。
そう、タカさんについてきたはいいものの、わたしは旅程など全く知らなかったのです。

「今日は昼間仕事があって、夜はまだみんなの予定が見えないんだ。もしかしたらキャンセルになるかもしれない、また連絡します」

タカさんからの返信に、わたしはただ
「わかりました、お待ちしています!」
と返すだけ。
そして溜まっていた数十件の仕事の連絡を片付けた後、わたしはあてもなくまたベッドに舞い戻りました。

それもそのはずです。
あくまでタカさんはお仕事でドバイに来ているので、つきっきりでわたしに構っている時間などありません。
むしろタカさんのお仕事仲間を紹介していただいたり、お食事に連れて行ってくれるだけでもありがたいことなのです。

わたしはしばらくベッドで大の字になり、ぼーっと天井を見上げていました。
ドバイのことはできる範囲では調べつくし、しかしネットには肝心な情報はどこにも載っていないか、みんな違うことばかりが書かれていて迷宮入り。
前日はお酒の勢いで色々と調べつくしましたが、この日はもう検索する元気すらありませんでした。

「暇だ……」

ふとわたしはドバイに来て初めて「暇」という感覚を感じました。

しかし、同時に日本ではずっと働きづめだった自分を思い出し、ふと気がついたのです。

「あれ?わたし、こんなに時間があったんだっけ…?」

それもそのはず。
ただでさえ
「ドバイへ行くので暫く連絡つかなくなります」
と言って飛び出した日本。
そして、日本とドバイの時差は5時間でドバイのほうが遅いので、ドバイにいれば日本の仕事はほぼ午前中に終わるのです。

あんなに毎日忙しかった日本とはうってかわって、ドバイにいるといつまでもいつまでも時間が余るように感じました。

「わたし、こんなに時間があったんだ...!あ、それならおもいっきり好きなことをしてみよう!」

あんなに願っていた「自分の時間が欲しい」という願いが、そのとき思いがけずドバイで叶ったのです。

わたしは早速、今までやりたかったことに手を付け始めました。
パソコンで調べものをし、持参した仕事の書類を心ゆくまでじっくり読み、本を開き、ここぞとばかりに朝からウイスキーに手を伸ばす。
やりたい!を何の障害もなくするすると実現できていくその時間は、わたしにとって非常に嬉しいものでした。

しかし、異国のホテルでできることには限りがあります。
できる範囲のやりたいことを実現したわたしは、やがてすぐに「やること」が尽きてしまいました。

我慢を重ねてきた分、いざ自由な時間を与えられると、かえって戸惑ってしまうものなのです。
「やっぱり暇だ......」
この感覚は、久しぶりで、かつ独立してから初めて味わう感覚でした。

やがてわたしは、気づけばただウイスキーを飲みながらゆるゆるとカメラロールを遡り、今までの自分を振り返っていました。

売れないキャバ嬢で毎日人生に絶望していたこと、全てを捨てて司法書士試験を受験したこと、3回目の不合格で魂が抜け一度「死んだ」こと、背水の陣で土下座してお金を借りて行政書士として独立したこと、あっという間に駆け上がり怒涛のような毎日を過ごしながら売上を上げていったこと、そしてふとあんなに必死になってこなしていた仕事からも日本からも離れ、たったひとりで異国の地にいる自分...。

独立してから出会った数々の猛者や会社を手伝ってくれる可愛い子たちを思い出すうち、ふと自分の意思とは関係なく突然涙が溢れ出してきました。

みんなに会いたい。
でも今は帰ることもできない。

帰ろうと思えば帰れるけど、もう4日後に帰りの飛行機を取ってしまったし、どうやって帰ればいいのかもわからない...。

もし今わたしに何かあったら、みんな悲しむのだろうか。
会社はどうなるのだろうか。

孤独だ。
でも誰に助けを求めることもできない。
何も知らない異国でたったひとり。

今わたしに何かあっても誰も知らない。
突然連絡が取れなくなるだけ。
でも帰ることも逃げることもできない、好奇心だけで、我儘だけで自分が飛び込んだこの時間。

突然、たとえようのない大きな孤独と悪寒がわたしを襲いました。

経営者になってから大抵の場面は気合で乗り切ってきたわたし。
でも、この急速に心を蝕んでいく孤独は、そんなわたしでも耐えがたいものでした。

帰りたい。
みんなに会いたい。
慣れ親しんだ日本が恋しい。

この感覚は、初めて経験するものでした。
そして、どうすることもなくもうとめどなく涙が溢れ出してきたのです。

会いたい、でも叶わない。
この地球上に存在するのに。
それがこんなにも孤独で辛いことだなんて。
でも、どうしようもない。

ものすごく巨大な無力感でした。

それは、わたしが35歳にして初めて感じた「ホームシック」という感覚でした。

あまりの辛さに飲み込まれそうで、わたしはいてもたってもいられず思わず近くのスーパーへ足を運ぼうとホテルを飛び出しました。
外へ出ると、そこにはホテルの中とは打って変わって真夏の太陽がまぶしく照り注ぎ、明るすぎてまるで光と熱気に飲み込まれるようでした。
一歩歩くだけで頭が焦げ汗が噴き出る空間をわたしは速足で駆け抜け、そそくさとスーパーへ逃げ込みました。

建物の中へ入ると、一気に心地よい冷房の風が肌を撫でます。
やっと息ができる安堵感を覚えながら、わたしは見慣れない商品棚を眺め始めました。

英語がわからないわたしは、見たこともない商品をひとつひとつじっくりと見ながら、不思議とひとつ見るたびに少しずつ救われていくのを感じました。

ここでも、みんな生きている。
生活している。

あらゆる国から輸入された数々の食品を見ながら、わたしは「生活」というものを改めて目の当たりにしました。

「ドバイの人口の8割は外国人」

ネットのどこかに漂っていた文章をふと思い出しました。
あぁ、ここで買い物をしている人たちは、みんなこうした気持ちを乗り越えてこの美しい土地で生きているんだ...。

中には祖国を追われてきた人もいるかもしれない。
労働者は家族を母国に置いてたった一人でドバイに来ている。

ここは、心のどこかに寂しさを抱えているからこそ、誰にでも優しい人々が集まっているんだ。

そういえばふと思い出せば、ドバイではだれもが親切で明るく、優しく、そして一度も差別を受けていないことに気がつきました。
(あまり言及はしませんが、東洋人は国によりかなり差別を受けることがあります)

あぁ、ここは孤独な人間の楽園なんだ…!
みんな祖国を離れる辛さと様々な事情を抱えつつも、自由で明るく生きている。

ふと周囲を見渡すと、そこには微笑みながら思い思いに買い物を楽しむ人々の姿がありました。
家族連れ、カップル、お金持ちそうなご婦人、作業着の労働者...。
人種も属性も、老若男女も肌の色も関係なく、ただ孤独を乗り越えた優しさと余裕に満ち溢れた存在が、自由に買い物を楽しんでいました。

わたしが不安そうに見えたのか、ふと目が合ったヨーロッパ系の男性がすれ違いざまに微笑みかけてくれました。
わたしは、笑顔とも泣き顔とも取れないぎこちない表情でそれに応えました。きっと。

このままうろうろしていてもらちが明かないと思い、わたしはひとまず卵と塩と少しの食料をレジまで持っていき、レジの女性に優しく話しかけられても何を言っていいかわからずに黙ってカードを差し出し、買い物を終えました。
そうしてまた息が詰まるような太陽と暑さの中、無心で来た道を戻りました。

部屋に入った瞬間、わたしはすぐにまたウイスキーを口にしながら、そして気づけば自分でもびっくりするほど溢れる涙に溺れながら、ひたすら泣きました。
でも、今度は違う涙でした。

なんて世界って、美しいんだろう。
なんて人って、孤独で美しいんだろう。

ああ、これは自分に必要な時間だったんだ。

気づきの時間だったんだ。

むしろ今までが傲慢すぎたんだ。
お金さえあれば、人はついてきてくれると思っていた。
今思えばなんて浅はかなんだろう。
なんて思慮が浅かったんだろう。
人間の本質を馬鹿にし、表面的なものばかりに囚われ、あまりに醜い生き方をしていたのかもしれない自分。
今からでも贖罪できるのなら、この身を捧げたい、と。

そもそも、人間が孤独なんて初めからわかっていたじゃないか。
生まれてから死ぬまで、自分と一生一緒にいて、自分のこと一番わかってくれるのは自分しかいないということ。
そんな当たり前なこと、どうして忘れていたんだろう。

優しさと感謝と心の余裕。
それがわたしが求めていた「本当の強さ」だったんだ。

会いたい人がいる。
それだけでなんてわたしは果報者なんだ。
帰りたい場所がある。
それだけでなんてわたしは恵まれているんだ。
懐かしめる思い出がある。
それだけでなんてわたしは良い人生を送ってきたんだ。

全ては自分の中に既にあって、もうそれは既に「得ていた」ものだったんだ。

孤独と感謝という、全く違うベクトルの感情が織り交ざり、混濁したわたしの思考はとめどなく流れ、ただ泣くことしかできませんでした。
頭の整理ができなくて訳も分からずに、気づけばウイスキーをほぼ原液で喉に流し込み、そのまま泣きつかれて気絶するように眠りについていました。

そんなわたしを目覚めさせたのは、タカさんからの電話でした。

「大丈夫?連絡つかないから心配して電話したんだよ。
これから僕の仲間たちとエミラティ(元々アラブにいる地元の方々の呼称)の財閥関係の人とご飯行くんだけど、来れるかな?」

タカさんの連絡に、わたしは思考する間もなく即答しました。

「はい、すぐに行きます!!」

その瞬間、混濁していたわたしの脳味噌はスイッチを入れたように切り替わりました。
気づけば髪を整え、着替えを済ませ、リップを塗ろうとしてぱっと覗いた鏡には、先程のヨレた異邦人ではなくおしゃまな顔をした日本人の女の子が映っていました。

そう、わたしは孤独ではなかったのです。

わたしはきっとタカさんからの連絡をいただいたとき、その瞬間、孤独とは自分が作ったただの幻想だということに気づいたのだと思います。

そして着の身着のままで急いで向かったその場所には、わたしがかつて見たこともない、それは全く新しい世界が広がっていました。

この日の涙は、わたしにとってかけがえのない贈り物でした。
孤独を知り、そして孤独を超えることで、わたしは初めて本当の意味での「繋がり」を理解したのかもしれません。

そしてその夜、わたしの人生はまた、大きく動き出そうとしていました。

美しい街ドバイが、これからどんな扉を開いてくれるのか。
タクシーの車窓から移り変わりゆくドバイの美しい景色をただ眺めながら、その予感に、わたしの心は再び高鳴り始めていたのです。

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