ブルーハーツ 僕を作ったモノ1
小学校6年の時、友人達と線路沿いの桜並木の下でお花見をした。
食べ物も飲み物もなく、新聞紙か段ボールを地べたに敷いて皆でワイワイやっていた他愛もないモノだったけど、当時結構「お花見」という行為が我々の間では流行っていたのだ。別に花なんか見ていないし、そもそも桜の季節だったかも怪しい。
でもその日あった出来事は(今考えると)僕の人格形成に大きな影響を与えた。みんなでいつもの様に喋っている所に友人の兄貴がやってきた。この人は2歳年上で僕の兄貴と同級生なのだが同年代の人とはあまり遊ばず、弟の友人である我々と行動する事が多かった。同学年でなく下の学年とばかり遊ぶ子というのは当時結構いた様に思う。正直、我々からするとあまりいい感じはしなかった。やはり同学年の仲間だけで遊んでいる方が気が楽である。僕も積極的に彼と話す事はしなかった。
この友人兄がその日はなぜかラジカセを持参して来たのである。当時はCDが出始めた頃だったが、そんなモノは僕も持っていない。おそらくダビングしたカセットテープだったと思う。そもそも当時の我々には音楽を聴くという習慣があまりなく、聴くモノといえばTVから流れるアニメの主題歌が主であった。そんな我々の集まりの中で彼はBGMとしてその銀色のラジカセから曲を流した。
その曲は僕の中に今までに感じたことのない強い衝撃を確実に与えた。
(当時の僕にしては)スピード感のあるその歌声は明らかに自分の中の何かを刺激した。でもその時にこれを歌っている人が誰なのか?とか曲名を友人兄に尋ねる事はしなかったように思う。恥ずかしかったのかも知れない。でも僕の耳は皆がワイワイ話している会話そっちのけで、ラジカセから流れる歌の釘付けになっていたのは事実だ。その興奮を持ったまま家に帰った。
その歌を歌っているのがTHE BLUE HAERTSというグループでその時聞いたのが彼らのデビューアルバムだという事を知ったのはそれから間もなくなのだが、どうして知ったかは覚えていない。
たしか、その次の年の誕生日プレゼントにCDプレイヤーをもらった。
自ら望んだ訳ではないのだが、母親が兄と一緒に電気屋に行き買ってきてくれた。CDとカセットプレイヤー、ラジオが一緒になったCDラジカセというものだ。
一緒に買いに行った兄貴の方がダブルカセット方式の上位モデルを買ってもらっていたのは未だに謎だが、とにかくそのプレイヤーを僕は高校生の終わりにCDコンポを買うまでの間、使い倒すことになる。
プレイヤーがあっても聞く物がないので母は僕ら兄弟を町で唯一のレコードショップ「ゴトー」にCDを買いに連れて行ってくれた。兄は当時大流行していたマイケルジャクソンの「BAD」を、僕はブルーハーツの2ndアルバム「YOUNG AND PRETTY」を買ってもらった。
これが人生において初めて自分の意思で手に入れた音楽となった。
と、言うのは嘘である。ホントは当時放映していた「シティーハンター」のアニメソング集を買ってもらった。ブルーハーツはその次だ。
初めて買ったのがアニメのサントラだという事が「カッコ悪い」と思っていた時期があり、隠していた頃があった。今考えるとそんなのどうでもいいじゃないかと思えるのだが高校生頃の自意識過剰の僕にはそれは隠すべき恥ずかしい過去だった。
とにかく、間も無くしてブルーハーツのアルバムを手に入れた。
本当はデビューアルバムが欲しかったが店に在庫が無かったのだ。
アルバムジャケットの裏に載っているチンピラ風のメンバー写真を見た母は露骨に嫌な顔をしたが、なんとかレジに持って行ってもらった。
なんの予備知識もないまま、手に入れたそのアルバムを僕は狂ったように聞き込んだ。続けてデビューアルバム、3rdアルバムの「TRAIN-TRAIN」も含めブルーハーツが僕のヒーローになった。そのキャッチーなメロディーと価値観を一方的に押し付けてくる社会(学校や親)に対する反抗的な歌詞は中学生の僕を虜にした。ここから僕の反骨心、親や先生といった大人達の言いなりにはなりたくないぜ!という考え方は加速して大きくなっていった。
そもそも、親にお願いして買ってもらっているのだが、そんなことは中学生にはわからないし関係なかった。
とにかくブルーハーツが最もカッコいい存在で、不満を持つ自分の「代弁者」になったのである。同世代にはこう考えている人が多かったと思う。
彼らの曲に共感し、自分を慰め、励まし、奮い立たせてくれる存在として憧れを抱いていたのは僕より少し上の世代には多くいたのではないだろうか。
今と違い、個人の考えや流行みたいなものがリアルタイムでわかる時代ではないので推測に過ぎないが、少なくとも僕の仲間内では圧倒的な人気を誇っていた。
周りの友達がみんな好きである=日本中のみんなが好き、または聞けば好きになるはず、と中学生の僕は当時思い込んでいた。
確かに「TRAIN TRAIN」がドラマ主題歌に起用されて大ヒットとなりブルーハーツは社会現象として世間で騒がれてはいたが、後になって友人と話をしてみるとそこには明らかに個人差があった。数曲のみ知っているという人から全曲歌えるという人間まで、当然だが思い入れはみんな違っていました。
とにかくブルーハーツの出現は僕を音楽に目覚めさせ、その後に続くバンドブームへの入り口を作り、その後の人生における考え方やカッコよさ、気持ちよさの基準のようなものを作ってくれた。それは僕の趣味嗜好においても確実に影響しているので今回、僕を作ったモノとして一番に挙げさせてもらいました。
改めて今回振り返って色々なことを思い出し、気づかされた。
あの時、自分は何歳だったのか、あのCDが発売された年は?みたいにこの機会に色々調べてみた。当時の自分が認識していたことと実際の時系列が違っていることもいくつか判明した。どうでもいい事だけど、これも収穫だと思っている。
あの時、僕にブルーハーツを聴かせてくれた友人兄、おそらく自分が欲しいために僕にCDラジカセを選んでくれた兄貴とCD屋に連れて行ってくれた母親、他のアルバムを聴かせてくれた友人達、その時の何か一つでも違っていたら僕はこの体験をしなかったかもしれないと考えると今は全ての事に感謝したい。それらが最高に気に入っているから。
本当は各曲の感想や思い出を書こうと思っていたけど、序盤で長くなったためまた別の機会にしよう。
特にギターのマーシーこと真島昌利氏と彼の作るものは今でも僕に多大な影響を与えている存在であり、憧れでもある。
このことについてはいずれ書こうと思っている。