This is who I am.
ここ最近、素敵な出会いを繰り返し、「自分はどうあるべきか」を考えさせてもらうことも多かったので、ここいらで少しまとめてみようと思いました。
まず、トップの写真。
狙って撮ってもらいましたが、予想外にもこの写真にはぼくの好きなものが見事に描かれていることに驚きました。
左端から
・鉄(鉄道ファン)として、信号灯
・God Fatherの看板(「おれに仕事の話は訊くんじゃねえ」と書かれている)
・ジャンベ(音楽好き)
・人物が持っている、エアガン、Sonyα99mk2、ハンバーガー、小脇に映画祭トロフィー、ハッセルブラッド500C
・ワイン
・本田選手の直筆サイン入りのACミラノ10番ユニフォーム
まあ、見事に写っています。
仕事場じゃねえじゃん!って言われてもおかしくないくらい、自分の好きなものが集まっています。
まあ、そんなことはどうでもいいんです。
でも、このように、ぼくは好きなことばかりをやっているんだよ、と体現された写真ですね。今の辻を知ってもらうにはいい感じです。
とにかく表現者の端くれでありたい
さて、本題です。
基本的な情報として、ぼくはお世話になった映像制作会社から独立し、同じ稼業で仕事をさせていただいています。
なので、本業は「映像制作」です。
立場でいうと、プロデューサー、ディレクターといったところです。
ジャンルでいうと、メインは企業プロモーションを始め、たまーにCMとかMVをつくったり、という生業です。
多くの方々には「映像を作っている人」という認識をされているものと思っていました。
そう、思って「いた」のです。
で、そのきっかけで、最近言われ始めているのですが、
「辻さんは、映画ばかりやっていて、映像制作はされていないのですか?」
と訊かれること。ぼくとしては「えっ?ずっとやってますよ?むしろ生業ですが」。
ふむ、心当たりは多々あります…。
ぼくのSNSを見てくれている人は、そこの話題に「映画しかない」ことを知っています。なんなら映画祭のプロデューサーもやっています。
仕方ないと思っています。
これ、自分のプロモーションの舵きりを大きく間違っていたのだ、と今更ながらに気づかされたわけです。
SNSはプロモーションだとわかっていて、よかれと思ってアップしていたことが、思わぬ方向で働いた、ということがまあ、なんというか未熟でした。
そもそも、映画という表現をすることが、自分の価値を高めてくれる一つの手段とさえ思っていたわけです。
それが、どうも意図した方向と違っていたと。
もう少し言うと、映画という表現を通していろいろ学んだり、描き方なんかも幅を広くしたのです、というアピールでもあるわけなんですね。それがどうしてか「映画しか選んでいない」印象に映る。
レベルアップを伝えたいのに、まるでそんなレベルはいらない、と言われてるような感じがしているのです。
もちろん、映画についての告知をやめるつもりもありません。
なぜなら、関わってくれた人たちに少しでもお知らせするためにやっていることでもあるからです。どこかの映画祭で受賞した、ノミネートされた、ということは、喜ぶべきことであり、間違っても隠すことではないからです。
こればかりは自分の「生業」である映像制作に影響があることだとしてもそのためにやめるべきではない、と思っています。
むしろ、義務に近い。
なので、結論として、今の辻から映画を外すことは、これまで関わってくれた方々に対して筋の通らないことなのです。
そして、一瞬たりともそこに対しては迷いはありませんでした。
きっとこれからもそうでしょう。
裏目に出た自分の演出
ただですね、同時にこういうことも言われているのは事実です。
「辻さんは、もう企業プロモーションなんて興味がなくて、今更そんな仕事してくれないでしょう?」
という言葉です。
これはおそらくお仕事や最近お話した方々、お心当たりがあることでしょう。直接言われて、お話できた人には説明できるので問題はないのですが、親しい友人が、言ってくれたことでぼくの自信は少し揺るぎました。
「でも、そうやって言ってくれる人はいいけど、その前段階でそもそもコンタクトとってくれない人がいるんじゃないかな」
「あちゃ〜」と思いました。
コンタクトがない=知らない、わからない、ので浅はかにも思いもよらぬ指摘でした。
さすがにそれはいかん、と思いました。
一旦、スタンスを明確にしなければ
それでここ数週間、生業(ライスワーク)としては映像制作、ライフワークとして映画、というスタンスをどのように説明したら理解してもらえるのだろうか、考えました。
結論。
「そこを別けて考える必要はない。」
です。
まず、自分の人生という時間軸について、「公私」(ライスとライフ)を別けて考えることが自体がナンセンス、というポリシーがあります。
だから昼からでも平気で酒を飲もうと思っています。(仕事の効率が悪くなる時があるので、さすがに自制しますが。。。)
酒はともかく、「どうやってライスライフの優先順位を決めるのか?」といえば、基本的には先約優先です。そもそも時間という、万人万物に平等な概念(感覚?)に優劣もくそもないわけなので、この問い自体がナンセンスですね。
もちろん「仕事」は大事です。しかし、譲れないのは「筋を違えること」なのです。
「筋を曲げてまで利を求めたくない」という変な意地はあるので、そういう意味でやきもきされる方はいらっしゃることと思います。。。
経営者としてはなかなか痛いところではあります。。。
次に、映画も映像も手法やアプローチは違えど同じ表現には変わりのないこと、というメディアそのものの捉え方です。
何か伝えたくて表現をする。
それは、主体的に何かを伝えたい「映画」と誰かのメッセージを伝えたい、そのお手伝いをする「映像」という表現自体、本質そのものにまったく差異がない、ということです。
最近知り合ったアーティストの方に言われて「あ、そうだった」と。
そして、生業の映像制作をするスタンスとして変わらずにもっているのは、「少しでも伝わる方法を考え、探り、提案する」です。
その主語は自分であろうが、他の人だろうが、本質的には変わらないわけです。
そりゃ企業プロモーションは他人事かもしれませんし、もっと言うならぼくが本当に言いたいことではないかもしれません。
でも、そんな意見は相手するに及ばずです。
「相手の目線に立って、どうしたらベストに近づけるか」を考えるというのは課題解決、ビジネスの基本ですし、振り返ってみてもお金をいただいてエゴを貫いた「作品」はぼくのアーカイブには存在していません。
そして、そんなアーティスト性を持ち合わせていないことを、一緒に仕事した方にはご理解いただけることと思います笑
もし、「いや、そんなことないよ」と声をかけていただけるのだとしたら、それはぼくが「アーティスト性に憧れながらも真っ向勝負をさけ、違う視点(少しでも優位性をもてる土俵を探す)でアプローチをする」という姿勢が成功しているからです笑
そうです、表現には当然こだわりますが、映画でさえもエゴを貫き通せない側面がある、と言う意味で本質的には課題解決型の提案が好きである、とご理解いただいていいかと思います。
映画も生業(映像制作)もやること、気持ちは同じ
もう一つ大事なことを伝えたいのです。
それは、
「会社のプロモーションとか興味ないですよね、楽しくないですもんね」
とたまに言われることで、お願いですから、そんな悲しいことを言わないでください。
同時にSNSとか表面的なことで判断されてしまう世の中になったのだ、ということを実感もしています。
一緒に話をして、酒を酌み交わした方なら、「こんな仕事はもうやりたくない」なんて言うやつではないことをわかってくれていると思います。
確かにそういう風に思われることは仕方ないです。
だって、SNSは映画だけですもん。楽しそうですよね。
でも楽しくない情報をわざわざアップする意味が果たしてありますかね笑
(決して仕事の実績は楽しくないからアップしていないわけはないです)
でも、そんなことではなくて「楽しくない」って誰が判断しているかをもう一度考えて欲しいのです。
落ち着いて考えれば、「楽しくない」と思っているのは、実は言ってる張本人だと気づかれるかと思います。
なんならそれを「楽しい」に昇華させたいと思って常にそれを考えて提案しています。
「楽しい」だけではなく、「妥当」=「伝えたいことが、伝わる」は当然。
もし、「そうだっけ?」と思われる方がいらっしゃればごめんなさい。足りていませんでしたね。
だから、そこを任せていただけるのであれば、一緒に考えましょう。
既成概念、固定概念に縛られるつもりは毛頭ない
もう一つ追加するとすれば、日本的な「職人賛美主義」とでもいうのでしょうか。一つのことに対してコツコツと取り組み続ける姿勢が高評価され、相対的にあれやこれややっていることが「こだわりなく見える」という事態といいますか。
ぼくで言うと、映画なのか映像なのか。趣味か仕事か、はっきり選べということでしょうかね。
(映画で稼いではいません、でもいつか稼げるようになりたい)
なぜ、2つを並行して進めてはいけないのか。(並行という意識はそもそもありませんが)
どれも中途半端になるから一旦絞ったら、というご心配は確かに嬉しいことではあります。
でも、この瞬間に伝えなければいけないことがあって、そして少しでもそのタイミングがあるのに、そのチャンスを逃し、再チャレンジを待つような猶予はないのです。
「そこまで後回しにしてもいいことなんか、表現しなくてもいい」ということです。
あえて言うならば、ぼくはやることを一つに絞っています。
「後世のために表現(新しい見方)をする」
ということです。
むしろ、そればかり考えているかもしれません。
もちろんお金の計算もしますけども笑
でも「なんだかわからない世の中のマジョリティに流されて考えるのをやめたら、たぶんあとは死ぬだけだ」という思想が一番大きいかもしれないですね。
ついでに座右の銘というか、ポリシーの一つ。
「思い立ったら吉日」
だから「今だ!」と思ったら正気に戻る前に行動することが多いかもしれませんね。ご迷惑をおかけします。
詰まるところ「誰と、誰のために」が大きい
この2,3ヶ月、本当に素敵な出会い、ご縁を感じる機会に恵まれています。
それは、ライスライフ問わずです。「糧」となる出会いです。
これまで出会い、なんだかんだ付き合い続けきたパートナーたち、映画仲間たち、そしてこれからなんだかんだ付き合うであろう人たち。
仕事も映画も同軸で考えるし、何をしていくのかいまだに正解はわかりませんが、「なんか楽しいことしよう」だけよりは、そう言ってくれる人たちのためにも、表現者の端くれとして力になりたい欲求が強いと感じています。
(たまに、お人好しと言われますけども)
なぜかと言うと、そういう生き方が性に合っているらしいし、自分の人生が豊かになる気がしているからでしょうか。
いずれにしても未来を描ける出会いに恵まれるのは本当に刺激的で幸せなことです。
さて、このとりとめもない「自己表現」をどのように締めようかと考えました。
こんな好きなことばかりをやっている人間ですが、もはや「映画」だ「映像」だとかではなく、「表現」、「伝えること」という枠組みで考えていきたいと思っています。
「ええやないか」と少しでも共感していただき、興味をもっていただける人がいらっしゃるのだとしたら、「あなたも好きですねえ」というお返事とともに、一緒に語り、酒を酌み交わしたい。課題解決なり、映画なり、一緒に表現し、少しでも後世に遺せる答えを見つけにいこうではありませんか。
「なんじゃ、結局営業じゃないか」
と思われる方、素直に褒めてください笑
ぼくは営業の仕方がいまいちわからずにやってきた人間なので。
「愚痴じゃないか」
と思われる方、もう一度読み直してください笑
これはある種の挑戦です。
「映画や映像という表現で何が言いたいの?」
と思われる方、ご連絡お待ちしております。
直接伝えましょう。
長くなりましたが、一時は「自作自演」を堂々と謳ったインタビュー記事でも書こうかと思いましたが、口に出した瞬間に仕事仲間の人たちに心配されたので思い止まりました。
でも、実はやる気満々です。
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