モノ本来の役割へ帰結する 〜山登りで明確になった価値観〜
前回から山登りにまつわることをつらつらと書いております。
今回もそのつもりです。
というのは、自分が身につけるものや使うものというのがどんどんと飾りっ気がなくなってきたなあ、と思う反面、とても質実剛健なものが増えてきた気がしているからでもあります。
普段着にしても、トレッキングウェアをさらりと着こなしたくなる気にもなります。
経年による感覚の変化かもしれませんが、見た目よりも中身、という感覚の変化は実際に山で気がついた使い心地のよさベースになっているとは思います。
街乗り?SUV?四駆じゃない四駆??
ものすごくちっちゃなことです。
3台に1台はSUVが走る時代です。(自分の感覚調べ)
その98%はその能力を発揮せずに乗り換えられるのではないかと思っています。その能力とは、悪路走破や「帰ってくる」能力。(これはランクルのコンセプト)
街で乗るならやはりセダンとかミニバン、なんならコンパクトカー最高。
何より、「道具美」として磨かれ、壊れない商用車最強、とさえ思っています。
そんな感覚になると街乗りのSUVはかっこいいけど、、、というようなことを考えてしまうわけです。
同時に、外(アウトドア)で使う道具を常にピカピカに磨き上げておく必要を感じないということでもあります。雨ざらしの保管だし。
まあ、偏った本質思考です。
偉そうなこと述べましたが、愛車はオフロード仕様のハイエースですけどもね。
思いっきりステータス保持感丸出しなので、笑ってください…。
格好から入るからこそわかる、使い勝手の大事さ
これは友人から聞いた話ですが、初めての登山でアウトドアのハイブランドで上下一式揃えてきつい山行に臨んだ人がいたとのこと。
「格好から入るってあるよねえ」と正直思いますし、何より自分がソレなので何も言えない(汗)
もちろん、値段相応に機能も充実するものなので、チョイス自体は問題ないと思うのですが、山行の度合いに合ったチョイスというのが、経験を重ねるとわかってきますよね。
さらに言うと山で使うということは、摩耗する、傷がつく、破れるリスクが高まるわけで、装備を守るために転ぶ、という本末転倒なことにつながるな、と。
結果、今一番使い勝手がいいので、ユニクロやワークマンのウェアとかだったりします。(靴やシェルは専門ブランドにします)
最初は、登山道ですれ違う時に、「お、いいの着てるね」って思われたらいいなあというエゴがありましたが、そもそも人の装備気にする余裕がないし、なんといっても人と出会うルートや時間を選んでいないので、なんなら誰にも会わないのです。。。
とにかく、オーバースペックなものを身につけて、削ぎ落とす(大事に眠らせる)結果、シンプルで開き直りやすい(汚れてもいいやと)ものを身につけることになります。
とても本質的な感覚かもなと思うわけです。
※削ぎ落としすぎてガス缶忘れました
働く人の筋肉が美しいという言葉
昔の行きつけのマスターが、土木系で働く人の筋肉が美しいと言っていたことを覚えています。
モノに対する本質感というのはこれに近いと思っています。
飾りっ気ないのが好き、とかそういうことではなく。本質を追求した結果、飾りっ気がなくなってるだけ、という「そつのない美学」に憧れてしまいます。
山登りを始めた当初は、ガーミンのスマートウォッチを四六時中身につけていました。日常生活から「その気」になろうとしていたし、色気を出そうとしていましたね。。。
結局今は、アップルウォッチ。
日常的に使う機能はLINEとかの通知のみ。
でもYAMAPが使えるようになったタイミングで購入しました。(過去に一度持ったものの使い道がなくて一週間で手放したこともあるのに)
本質的なのかなんなのか、自分でもよくわからない行動パターンなのですが、「目的が明確な道具」は使い続けていくことができるし、自分のマスターピースになるとちょっと嬉しいですよね。
身体の方はというと、山登りするには負荷がかかるウェイトなので、ダイエットをかれこれ二十歳のときから20年以上続けています。
さらに、山登りに適した美しい筋肉もつけながらにしよう、とせっせといろいろやって腰痛です。
修行が足りない。
けれどもそんなことを気がつかせてくれる体験は、かけがえのないものです。
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