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絆光記を読んで

「お前は絵描けるしすごいけど、俺は別にそういうのないからな〜…」と言われた時の返し方について未だに悩んでおり、探し続けています。

見てくれる人が1人でもいる事を心の底からありがたいと思ってるし、実際そういう姿勢でやってはいるものの、今の自分は数字取れるようになって気持ちよくなってる人間にも見える。そんな人間が、「作品作れなくてもあなたにはちゃんと価値がありますよ」と言ったところでその場しのぎの綺麗事でしかない。


もう少し具体的に考えるとして、

  • 自分にもできないこといっぱいあるよ!
    (そんなことは向こうもわかってる。後手。)

  • 生み出さなくても、見てくれるだけでモチベーションになるよ!
    (おこがましく、後手)

  • 「作者」と「鑑賞者」は対等なので、見てくれる人がいないと成立しないよ~
    (コストやリターンを含めると対等ではないし、スケールがデカくて当事者意識を持てない)

くらいしか挙げられないので、 あまり響かないだろうと思って誰にも言ってない。これからも考えないといけない。

しかも今回の話でいくと、人のために絵が描ける・作品を完成させられるという点において「持つ者」の側にいるので、安全圏からしか言葉を投げられない……

順番が前後しますが、そもそも人を「持つ」とか「持たざる」で二分すべきではない。各々色んなことができるし、その逆もまた然り。その中で、これはできるけどあれはできない、というのが絶対に発生するじゃないですか。だから無駄に卑下しないでほしい。何者でもないこと自体あり得ないはず。そんなことしなくても自分にないものいっぱい持ってるはずだから……違う人間だし。

じゃあ自分はどうかというと、他人にできて自分にできないことがあったら悔しい。僻む!基本はみんな凡人スタートだから、本当はそれをできるようになる可能性が自分にもあるはずなのに、できないのが悔しい。かといってすべてに手を出すモチベーションも気力もないので、単純に他人をリスペクトしきれないことがある(生きづらさ)。もちろん大前提として心的距離と領域が近いときではあるけど。


話を戻します。
シャニマスはいつも、自分みたいな"個"にもちゃんと価値があると言ってくれてすごく嬉しい。 感想1つ取っても、他でもない自分が見たり聞いたりすることにはかけがえのない価値があるよ!って言ってくれてた。優れた感性や文章力がなくたって、思ったり口に出したり書き起こすことにはちゃんと意味があるって。

シャニマスやってなかったら自分の価値とかちゃんと認められなかっただろうな。「別に自分が描かなくたっていい」みたいな悩みもなくなった。結局手段でしかないので、土台の部分を大事にしようって思えるようになった。

今色々あって気分が沈んでますが、アイドルに応援してもらってなんとか乗り越えたいと思います。 自分は「頑張れ」とか「大丈夫」なんて言えないので、それを言えるアイドルはかっこいいです。いつも応援してくれてありがとう………………………………………………

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