壁を登る

ボルダリングを10数年振りに始めた。
始めたと行ってもまだ一回しか行ってないのだが、会員登録時に2回目無料券を貰っているからさすがにもう1回は行くだろう。2回目以降行かなくなったらこの記事は消そう。何よりも4歳の息子が大ハマりしているので、次に行く機会を催促されると思う。
また始めたきっかけは自宅と息子が通う保育園の徒歩圏内に出来たということが何よりも一番大きい。あとは、クライミングジムだけでなく、カフェも併設していること。
クライミングジムだけだったとしても、きっと顔を覗かせて数回は経験してたと思うがカフェが併設している上、徒歩圏内というのはハードルがすこぶると下がる。

久しぶりにnoteに書こうと思った理由は上記のことではない。オーナーさんとの会話だ。「最初のボルダリングはいつでなにきっかけだったんですか?」という質問に「12~13年前で隣町でよく行くアウトドアショップがあるんですけど、ショップ主催のボルダリング教室があったんで友人と興味本位で参加したんですよね〜。」と答えた。するとオーナーさんは「なら私よりも先にボルダリング始めてるので先輩ですよ!もうレジェンドですよ!」と返された。
僕は、「またか…」と思った。そして、「これnoteに書こ‥」ともすぐ思った。
何が「またか…」かというと私は、物事に手を付けるのは大抵周りの人より早いんです。
スキーもスノボも水泳も同世代より早く手をつけるも、まぁ普通程度のレベルで落ち着く。小学生低学年でアイスホッケーというド級のマイナースポーツを初めて大人気ドラマ「プライド」が始まり、周囲の熱気に引きそのままやめてしまった。SUPもここまでメジャー化する10年前には輸入業をやっている感じのいいおじさんと知り合い購入してブームがきた時に手放している。結局、波に乗れたのは2回程度。あとは、ベタ凪の海をクルージングをしていただけ。トータルで10回程度の使用。
あとから始めた人々の方が長く着実に続けて色んな繋がりが出来ている。
ボルダリングジムのオーナーさんは初めてボルダリングをやった時にこんな面白いスポーツがあったのかと感動し、それ以降県内外のジムを巡り外岩クライミングと言われる自然の岩を素手で登るスタイルまで辿り着き、現在ジム兼カフェを営業するでになる。
この差はなんなんだ。
バイクなども学生の頃から好きだけど、自分で整備出来るかと言われると出来ないし、エンジンのこと知ってるかというの全然知らない。好きなだけ。
結局、手を付けるのが早いところでなんの意味もないのだ。どこまで深くどこまで広く向き合えるか。その1点が重要なのだ。
別により深く物事に没頭出来ることを人にアピールしたいとか大会で表彰されたいとかマウントを取りたいとかではないと思う。
では、「悔しさ」の正体はなんなのだろう。

※追記
記事を書き終わる前に無料券を使用して2回目のボルダリングへ行った。どうしても出来ない課題があり次、行きたときには確実にクリアしたい。心残りとか悔しさが続けるモチベーションかも。

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