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「助かり合う私達」に伴走する。ー場作りネットのマンスリーサポーターになりましたー

「助けてと言うのが苦手なので」と彼女は言った。

わたしの周りは、本当に「助けて」と人に頼るのが苦手で、頑張りすぎてしまう人たちばかりだなと思った。

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今月(2024年3月)から「やどかりハウス」(NPO法人場作りネット)のマンスリーサポーターになった。月500円、ワンコイン。コーヒー屋で飲むコーヒー1杯分を寄付にあてる。このnoteは、衛星的な立ち位置で「助かり合う私達」に伴走したいわたしの備忘録とお願い。


わたしと、やどかりハウスと

劇場兼ゲストハウスである犀の角

コロナ禍をきっかけに上田の街に生まれた「やどかりハウス」。劇場兼ゲストハウスである犀の角と相談支援を行うNPO法人場作りネットが協働で運営し、誰でも雨風しのげる宿として、さまざまな人を受け入れてきた。

わたしは、しばしば、犀の角にいる。演劇を観にいくことはもちろん、仕事をしたり、お茶をしたり。やどかりハウスが生まれてからは、やどかりハウスを利用する方々と関わることも増えた。彼女/彼らと言葉をかわす。時に軽やかに、時に深く。でも、踏み込み過ぎないよう、すこし遠巻きに見ている自分がいた。

その距離感が変化し始めたのは、去年(2023年)のこと。やどかりハウスのnoteを読んでいて、その文章があまりにもよかったので、場作りネットのもとしまさんに「あのnote、めっちゃいいですね!」とメッセージをした。それがきっかけになったのかはわからないけど、その後、もとしまさんから「やぎちゃんにやどかりnoteの仕事を頼みたい」と依頼された。そうしてわたしは、仕事の一つとしてやどかりハウスに関わることになった。というわけで、まずはこちらの「やどかりハウスとは」というnoteを読んでほしい。(わたしが書きました!)

やどかりハウスには、さまざまな人が訪れる。深刻な困りごとを抱えた人、ほっと一息つきたい人、誰かと繋がりたい人、独りになりたい人。そんな彼女/彼らに相談支援という形で伴走してきた場作りネットのスタッフたち。頭上に「疲労困憊」の4文字が見えるくらい大変そうで、でも、どこか楽しそうな、誇らしそうな顔をしているのが印象的だった。

さまざまな相談や悩みが語られるソファ席

たぶん、その理由を今のわたしは少しだけわかる気がする。やどかりハウス、犀の角、あるいは上田の街を通して、人と人とが出会い、言葉を交わし、同じ釜の飯を食べる。その営みの中で、小さな奇跡といえることが起きているのだ。それこそ、助ける/助けられるの関係性ではなく、助かり合う、そんな関係性が育まれ、築かれ、歩き出す。決して明るいとは言えない社会の中で「助かり合う私達」という関係性は、小さなきらめきを帯びていた。

そのきらめきに対して、わたしは何ができるだろう。

そう考えた時、「やはりお金だ!」と思った。なんだか俗物的にも思えるが、わたしは俗物的な人間なので、理に適っている。ただし、お金持ちではないので、金額は慎ましくコーヒー1杯分。マンスリーサポーターになった直後、やどかりハウスから「重大発表があります!」というメッセージが来た。

助かり合う私達と、社会と

重大発表とは、要するに「やどかりハウスを支えてきた補助金が終わった」ということだった。やどかりハウス存続の危機。でも、やどかりハウスを続けていきたいので、みんなでお金集めプロジェクトをやろう。場作りネットのもとしまさんと紅葉さんは、Instagramのライブ配信を通して呼びかけた。

助ける/助けられるの関係性から、助かり合う私達になりつつあったやどかりハウスは、存続の危機を前にして、その関係性をより深く、そして広く築こうとし始めていた。

ライブ配信中の紅葉さん(左)・もとしまさん(右)

「助けてと言うのが苦手なので、できることを教えてもらえたらありがたい」

ライブ配信の中で印象的だった紅葉さんの言葉だ。やどかりハウスを訪れる人も、あるいは運営する人も「助けて」と言うのが苦手なんだと思った。やどかりハウスに限らず、わたしの周りは、そんな人ばかりな気がする。「助けて」と言えなくて頑張りすぎてしまう人たち。それは個人の性格によるものだけではないと思う。この社会そのものが「助けて」と言うことを許してない、そんな気がしている。

自己責任。頑張って、頑張って、頑張りすぎて、ぷつんと糸が切れた時、自分はダメなやつだと自責の念に押しつぶされてしまう。やどかりハウスを通して知り合った人たちに、何度か「それはあなたのせいじゃない。社会のせい、政治のせい」という言葉をかけたことがある。その言葉を受け、涙する人もいた。話を聞けば聞くほど、社会のせいとしか思えないことばかりだった。パートナーシップ、家族、介護、育児、仕事。「個人的なことは、政治的なこと」という言葉が何度もリフレインした。

わたしと、助かり合う私達と

「助かり合う私達」には、今、やどかりハウスに関わっている人だけでなく、関わっていない人も関心がない人も含まれているとわたしは思う。いつだって、誰だって、一人では抱え切れない困りごとに直面する。そんな時、わたしは街にやどかりハウスがあってほしい。「助けて」と言い合える場所がある。「助けて」を聞き合ってくれる人がいる。その事実はきっとやどかりハウスを利用する/しないを問わず、私達の生活を、あるいは心を支えてくれる。

やどかりハウスが街にあること

このnoteをここまで読んでくれたあなたにお願いしたい。やどかりハウスを広める手伝いをしてほしい。このnoteを、もしくは最初に紹介した「やどかりハウスとは」というnoteをシェアしてくれるだけでも嬉しい。

しかし、わたしは俗物なので、ここはダイレクトにお願いしよう。もしもあなたに余裕があるのなら、わたしと一緒にマンスリーサポーターにならないか。慎ましくコーヒー1杯分の、ワンコインマンスリーサポーターに。なってもいいよという方は、下記のリンクからよろしくどうぞ。ありがとう。

(ちなみに、3000円で一人分の宿泊費がまかなえるらしいよ!)

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