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雑記|人間は自然である-学生はどう生きるべきか?

自然と非自然の違いについて考えてみる

人間は自然である
野生動物や植物や岩石と同じ自然である
完全に物理的な考えに基けば、人間の思考も自然である
それでは元も子もないので、自然と非自然の境界線を意図的な行動による産物であるかどうかと定義する
意図的な行動とは、脳内の思考に基づく行動であり、本能的な行動ではないものを指す
思考方法はコンテキストに依存するかどうかによらない
(特に人間は行動の意図を共有することが可能であり、これが共同幻想、つまりフィクションである)
即物的であればあるほど本能的な行動のように見える
意図的な行動が多ければ多いほど幸せかということはわからない
だが、意図的な行動は自分の未来を少し望む形に変化させられる
完全に本能的に生活している人間はほぼいないし、逆に完全に意図的で合理的に生きる人もいない
本能と意図のバランスを最適化することが望ましい
この時点で、演繹的には思考が一度完結したように感じる。

次に自分がどう生きるべきかを帰納的に考えてみる
赤ちゃんや幼児は基本的に本能的な行動のみで生活をしている
身体の発達とともに情報の処理量が増加し、意図的な行動が生じてくる
例えば、誰かにさらに褒められたいとか、さらに美味しいものを食べたいとかである
意図的な行動をするようになる理由は、本能的な行動による報酬を増加させる準備のためである
意図的な行動は、本能的な行動による報酬、つまり、欲求の充足を最大化するために行われる行動、つまり、努力と言える
小学生くらいになるとゲームを沢山するために宿題を早く終わらせたりをする
ゲームをやりたいのは本能的な欲求であり、そのために宿題をするのは意図的な行動である
大人になると欲求はより複雑化していき、その充足のために必要な意図的な行動も増えていく
結果として、満たすことが難しい欲求が生まれてくる
この時点で人間が取る行動は、欲求を増大させないか(足るを知る)、努力をして欲求を満たす(上昇志向)かである
自分がどう生きるべきかを考えるとは、この2択をどう選択するかを考えるということとも言える

それぞれの選択肢を選ぶ理由を考察する
欲求を増大させない選択をする場合には、自分が努力コストを払ってまでその欲求を満たしたいかを考えることが多い
また、人間の欲望は解決の度に大きくなることが多いので、いつまでも渇望感が尽きないことを考える
結果的に、今の自分の生活で満足だと結論する
そもそも欲求が増大していく理由は、外界の影響によるものである
自分の見える景色が変わることで新しく欲しいものが見えてくるわけだ
従って、この思考による最善行動は外界の情報をシャットアウトすることになる
虫取り少年は成長しなければ永遠に虫取り少年ということだ。
しかし、ここには問題が生じいている
同じ行動を繰り返すと人は習熟してしまい、飽きることで報酬が減少していくということだ
欲求に対する報酬マイナス努力コストの割合を充足度だと定義するならば、欲求を一定に抑えても充足度は減少することになる
実際には、外界の情報をシャットアウトすることも困難であり、欲求も増大してしまうだろう
従って、充足度を高く保つためには、ある程度の上昇志向も必要ということになる

次に努力をして欲求を満たす選択をする理由を考える
欲求が大きいならばそれを満たすために努力をする以外に選択肢がないと考えることが多い
しかし、努力コストの大きさと報酬が得られるまでの期間とリスクを考えて逡巡することも多い
前の選択肢の時と実は同じ判断基準だが結論が異なるということだ
この思考による最善行動は努力のレバレッジを大きくすることで、充足度の収益率を大きくすることだ
充足度を高く保てるかどうかは、努力が報酬につながるかどうかのリスクによる
このリスクはコントロールできない

ここで最近よく聞く、好きなことで生きていく、という戦略について考える
これは努力をすること自体を欲求にするということである
つまり、本能的な行動と意図的な行動を同一化することである
こうなると努力コストという概念が最小化する
努力をし続けている状況自体に足るを知っているわけだから、2つの選択肢のハイブリッド型と言える
注意点は努力と欲求を一致させつつ、その努力が元々の報酬につながるものかどうかを検証することだ
好きなことをやっているけど食えないという状況は、単なる本能的な行動ということになる
一口に好きなことと言っても、生まれつき好きなものだけでなく、段々と好きになるものや紹介されたものもある
好きなことは意図的な行動でコントロールできる
好きなことで生きていくために、自分にできる戦略を考えてみるのは面白いのではないだろうか?

好きなことで生きていくための戦略の例は分散多職である
好きなことで生きていくのが難しいのは、好きな努力が経済的な報酬につながる保証がないからである
しかし、月3万円の収入を得ることを目標としたらどうだろうか?
好きな仕事で月3万円を10個掛け持ちすれば十分に生きていける
さらに、この仕事は上昇志向に基づく努力であるから、努力のレバレッジが大きくなる可能性も高い
また、全てが好きなことではなくても良いし、収入がない仕事でも好きなことであれば仕事としても良い
自分の全ての行動を仕事と定義し、ポートフォリオを作成することは現実的な戦略と言える

学生は親御さんに生活を保証されているため、収入の得られない仕事をすることができる
ポートフォリオを組むにあたって経済的な制約条件がないのはかなり有利だ
やりたいことをやる、と言うような漠然とした戦略ではなく、
自分の仕事のポートフォリオを作っていくという戦略で学生時代を過ごすのが良いだろう
つまり、今この瞬間から学生である君は仮想的に起業し、自分という会社を経営していくべきだ
これからの時代の大学では卒業して学位を取得したら何か大きな変化があるというわけではないと思う
就職したから社会人になるわけでもない
どう生きたいかを自分で考え、自分の人生に責任を持って、意図的な行動を始めた瞬間から自立した社会人になる
今は最高のチャンスだから、卒業とか待っていないで、早く社会人になろう

以上は博士後期課程に進学した時の思考の流れで、後輩の学生たちに伝えたいこと

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