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#1 前史

虚構、すなわち架空の事物について語るこの能力こそが、サピエンスの言語として異彩を放っている。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

平成以前のオタク

本連載では私の独断と偏見をふんだんに用いて平成から令和にかけてのオタクの変容、ないしそれを導いたコンテンツの歴史について述べる。しかし、前提として昭和後期のオタク(ここでは「おたく」と表記した方が正しいか)とコンテンツの大まかな関係推移を理解しておかなければならない。私は平成生まれなので、この時代に関しての知識は乏しいと言わざるを得ない。そのため、ここでは最低限の、きわめて一般的な論を記すにとどめる。

1945年の終戦をもって、日本のカルチャーは一つの大きな区切りを迎えた。その中で生まれたのがミリオタであり、今ではオタクの源流の一翼であると見なされている。ミリオタとはその名の通り、ミリタリーのオタクである。終戦から10年程経った頃、WWⅡの戦車や軍艦、航空機を扱った雑誌が人気を博し、模型の販売など商業としても成立した。当時はまだ「オタク」という呼称がなかったので、彼らはおそらく「マニア」と呼ばれていたと思われる。また、50年代から60年代にかけてブームを巻き起こしたSFもオタクの祖である。SFは、何度か起こる悪書追放運動の最初の攻撃を受けたものの、科学技術の進歩目覚ましい戦後期において子供達の夢中の対象となった。後述する「古代から中世へのパラダイムシフト=エヴァショック」を起こした『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)がミリタリ要素とSF要素を兼ね備えており、「中世から近世へのパラダイムシフト=ハルヒショック」を起こした『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)がSF要素を具えていることからわかるように、この2つはオタク史を一貫する重要なジャンルであり続けている。

1963年に日本初の連続テレビアニメである『鉄腕アトム』が放映され、アニメの歴史が幕を開けた。この頃のアニメはあくまで子供向けが主流であり、70年代、80年代と時代が進んでも傾向が大きく変わることはなかった。1974年に『宇宙戦艦ヤマト』が放送されたが、これはミリタリズムの原初を象徴していた。表面的には子供向けアニメでありながら、裏に様々なメッセージ、深遠な意義を有しているという構造は、『機動戦士ガンダム』(1979)にも見られ、のちに「オタク的な」作品を生み出す原点である。わかりやすい例では、宮崎駿が監督を務めた一連の作品群(≒ジブリ作品)が挙げられよう。時代は経済成長期の真っ只中にあり、完全なる子供向け作品(※)が支持を得る一方で、こうした作品もまた人気であった。漫画家・山田玲司をして「少子化の原因」と言わしめた『うる星やつら』(1981 - 1986)は80年代の象徴的な作品であろう。だが、これらがオタク作品かと言われれば首を傾げざるを得ない。

確かに70年代から80年代にかけて、大きな地殻変動があったことは明白である。1975年に日本消防会館で第1回コミックマーケットが開催され、熱心に同人まんがを買い漁る人々を見て新聞は「根暗少年が集まるコミケ」と書き立てた。われわれはここに多数派と少数派の対立を見出せ、多数派に一般人を置くならば、少数派にはオタクを置かなければならない。ロリコンブームが起こる一方、小児の恋愛漫画の域をはるかに超えた少女漫画が飛ぶように売れた。和製ポルノは二次元というジャンルを確立し、OVAが新たな可能性を夢見させた。中森明夫が初めて「おたく」という語を用いたのもこの頃だ。

つまり80年代末に至るまでの間に、コンテンツは次のように分化した。1つは、完全な子供向け作品。2つ目は子供向け作品の皮を被ったオタク的作品。3つ目はアングラで勢力を伸ばす、時にグロテスクで時にエロティックな作品。そして最後の作品に傾倒する者は世間から好奇の目で、あるいは軽蔑の目で見られた。彼らこそが現在のオタクの直系の祖先、おたくである。

おたくとは何か?

形式的なおたくの定義は先の通りだが、それでは実際におたくとはどういう存在なのだろうか。残念ながらこの問いに対する明確で合意された答えは見出されていない。それはおたくが常に変容し、そしておたくを論ずる人々もまた変容していくからである。個々人が自らのある種恣意的な定義を掲げおたくを評してきたのがここ数十年の先達の歩みなのだ。もちろん私がここで絶対的なおたくの定義を示そうなどということはあまりに傲慢である。だが、今後の議論のためにはどうしても用語の定義が不可欠なので、拙論を述べさせていただきたい。

おたくとは何か。それは意志する単独者である。「単独者」とはキルケゴールが宗教的実存を志向する者を指して言った、神と一対一で向き合う存在の流用だが、意味としては、作品に対して真摯に真正面から向き合い、人生を賭す覚悟を決めた者、といった具合である。「意志する」とは「思想のある」と換言しても構わない。他者や社会との軋轢を受け入れ、それを妥協ではなく克服によって乗り越えようとする姿勢を指す。私はこのようなおたくを積極的に評価したいが、これから歴史を紐解く中で、むなしい法則が浮かび上がってくる。それは、「おたくは常におたくから脱そうとする」という、万有引力の法則の如き強力な法則である。おたくはまず意志を失い、作品に思考と人生を委ね左右されるヲタクとなった。さらには単独者たる矜持も忘れ、作品をコンテンツとして消費し、一種のステータスとして自身を飾り立てるオタクとなってしまった。本連載では、なぜおたくはオタクに成り下がったのか、その過程に何があり、どこが問題だったのかということを明らかにしたい。その最初の転機こそが、昭和と平成を接続する重大犯罪・宮崎勤事件であったことを明言して、第2回への繋ぎとする。

※もちろん低年齢層をターゲットにした作品がまったく意義をもっていないと言うつもりはない。ここではいわゆる「オタクコンテンツ」との差異を強調するためにこう表現した。

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