4分27秒で『ぼっち・ざ・ろっく!』をリタイアした話
ぼっち・ざ・ろっく!(以下ぼざろ<この略し方はリゼロみたいで気に食わない>)というアニメが流行っているらしいということは日常的にインターネットを見ていると分かるもので、私もいつか観よう観ようと思って半年近くが過ぎた。実は放送前から期待を寄せていた作品ではあった。だからdアニメストアで探して「気になる」ボタンを押しておいた。
ぼざろを知ってまず思い浮かんだのは、当然のことだがかの有名な『けいおん!』である。2009年に1期、2010年に2期、そして2011年に劇場版と続いたこの作品は当時多くの視聴者を音楽活動に駆り立てた。あの頃ギターを始めた高校生も今やアラサーを迎えているという事実が厳然として存在する。ついでにHTTの彼女らもアラサーである。そろそろ一児の母でも私は驚かないぞ、などということはどうでもよく、ぼざろは芳文社きらら系のガールズバンド漫画としてけいおん!を継ぐ作品であり、私は相当の期待を抱いていた。
私個人としては、きらら系は『まちカドまぞく』において路線変更されたとみなしている。美少女動物園では売れなくなったからファンタジー性とツッコミ所を最低限に抑えたストーリーを導入したのである。『ゆるキャン△』も確固たるテーマを有しており、女子高生が永劫回帰する日常を無為に過ごすという現象を回避している。だからこそ、けいおん!と同じ題材を扱ったぼざろは新たな美少女動物園への道を示してくれるのではないかと思った。
だが、既にその時点で私は若干の不安も覚えていた。「ぼっち」という語はあまりにもきらら的でない(少なくともアニメ化された作品においては)。「ぼっち」と言えば『わたモテ』である。あれが良かったのは徹頭徹尾喪女の描写を貫き通したという点だ。残念ながら漫画版ではその後大量の友達が追加されたようであるが。ともかく、主人公がぼっちであったりぼっちが集まってバンドをやったりなどということは別に構わないが、そんなものは些末な設定であって再び百合香る花園が開かれることを私は願っていたのだ。
けれどもその願いは棄却されることとなった。風聞によるとぼざろの世界観念はいわゆる「オタク」が生きるTwitterであり、言ってしまえば彼らの自虐的共感と渇望する救いの顕現である。そこにかつての空想的楽園はない。おそらく彼らにとっては今までの作品群と何ら違いはないのだろう(これは他の分野でも顕著である)。だからけいおん!とコラボするのである。
反空気系の人々もまた誤っていて、けいおん!も視聴者の欲望の顕現と言う。それ自体は正しいが、視聴者(もはや制作者もここに含まれる)自体の大いなる劣化が重要な問題だ。00年代のヲタクだってつまらない奴はたくさんいたが、落ち着いて考えてみれば「あずにゃんペロペロ」の精神の方が数千倍はマシである。
何も考えずけいおん!を見ていた世代がぼざろを作り、何も考えずごちうさを見ていた世代がぼざろを見ているのだから、確かに仕方ない。ただし何も考えずぼざろを見ている現今の人々は十数年後に対し計り知れない責任を負っていることを自覚するべきである。
というわけで私はぼざろを絶対見まいと思っていたのだが、やはり見ず嫌いは良心が痛むので先日挑戦してみた。最初の導入は特に何も感じなかったが、OPでもうこれはだめだと確信した。どこにも可憐さはない。しかも最近よくある無駄にスタイリッシュな演出。アニメではなかった、Twitterでどっかの誰かが投稿したイラストレーションのコマ集合であった。
アニメを取り巻く全人間の劣化を理解し私が再生をやめたのは4分27秒だった。
P.S.キャッチコピーとされる「陰キャならロックをやれ!」。夢のない時代がまだ喚いている。