【オタク論】「おすすめの東方二次創作ってありますか?」

と聞かれたら僕は間違いなく『東拘永夜抄』(2014年出版)をお勧めする。この本は加藤智大というシリアルキラーの著書第3弾で、彼は2008年に秋葉原通り魔事件を起こしたことで東京拘置所に収容された。2015年には死刑が確定し、2022年7月26日に執行された。

実は本書は単なる彼の自伝で、別に東方要素はない。強いて言えば章分けが「Stage」6つと「Extra Stage」1つになされている位である。

彼は母親から教育虐待を受けていたことで知られているが、僕は事件を正当化するつもりもなければ、彼の境遇に同情するつもりもない。ただし彼が為したことをカルチャーに触れるのならば絶対に学ばなければならないとは思う。

ここでいう「学ぶ」とは、彼をオタク史の中に正当に位置付けようとすることである。彼は社会との接点を持つことの重要性を説いている。それは彼が社会と正当な形で接点が持てなかったからである。だから彼は「オタク趣味」を用いて人間関係を築こうとした。逆に言えば、オタク趣味には弱者を社会へと結びつけるセーフティネット的能力があるということだ。

1989年に東京・埼玉連続児童誘拐殺人事件を起こして逮捕された宮崎勤もまた、社会と関わるためにビデオ収集を始めたという。

オタクは常に弱かった。70年代、コミケが始まったときは「根暗少年がロリコンまんがを買いに行く所」と揶揄された。90年代、宮崎の事件以降エヴァを挟んで10数年間オタクの暗黒時代があった。2000年代後半、アイドルの握手券を求めてCDを大量買いするオタクは軽蔑の眼差しで見られ、萌えアニメを見ている高校生は同級生から気持ち悪がられた。

その要因はオタク趣味が弱者救済の役割を果たしているからである。社会的に弱い人間はオタク趣味と親和性が高いのだ。

この潮流が崩れるのが2010年代中盤からである。これを主導したのはインターネットの浸透と女性オタクの進出である。実は、女性は社会的に強い。女性オタクは腐女子という看板をぶら下げて『おそ松さん』(2015年)を流行らせた。また、インターネットが本来オタクになり得ない人間に作品を「誤配」し、歪なオタク像を作り上げていった。

さらに、2019年から『鬼滅の刃』ブームに乗っかって声優が露骨にメディア進出し始めると、一気に「強いオタク」が誕生した。すなわち、容姿端麗頭脳明晰、その上芸術的才能があって話も面白いオタクである。まるで宮崎や加藤とは逆である。2020年以降はそもそもオタクの定義が壊れ始めている。

オタク作品を供給している人間も、当然「強いオタク」になりつつある。多様性ブームとZ世代ブームがこれを更に後押ししているのは言うまでもない。結果、オタク作品にあった弱者救済の側面は失われた。

このことが一体何をもたらすかは分からない。そもそもこのことを分かっていない人が多数であれば何も起きないだろう。しかしながら、「弱者のオタク社会」から「強者のオタク社会」になりつつあるのは明白である。

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