なれそめというか、必然的な出会いというか
4月某日、私は僕になった。というか、ボォクに。
とあるライバー事務所のライバー求人に応募したら、受かっちゃったのだ。
立ち絵も絵師さんに描いていただき、遂にツイッターでのお披露目。なかなか可愛くも小生意気な風貌のボォクは、かなりのインプレッションを集めた。事務所内外のライバーさんたちからたくさん反応をもらえて、ホクホクした気持ちでしばしTLを眺めていると、同事務所ライバーから引用リツイートの通知があった。
なりたい自分になる。
そんな立ち絵のライバーが多い中、その人はお世辞にも派手とは言えない、現実味を多分に含んだ立ち絵だった。
しかし、決して没個性的ではない。目の離せない魅力が、そこにはあった。服装や装飾こそ派手でないものの、目元にリアリティというか、「生」が宿っていた。
引用リツイートには、可愛いね、というようなことが書いてあった気がする。そのあと、軽い挨拶のリプライをしたが、配信の日まで積極的にやりとりをした記憶はない。
しかし、それからがはやかった。
彼の方が少し先にデビューし、しばらく経ってから僕が配信デビューした。お互いの配信に頻繁に入り浸るようになり、別のメッセージアプリで個別に会話する仲にもなった。
事務所的にグレーというか、ほぼ真っ黒な行為ではあったので、彼と親しくなるにつれ、「そろそろ事務所を退所しようかな」という気持ちが強くなっていった。(実際、その事務所は夏に退所した)
一気に距離が縮まるきっかけになったのは、彼のリスナーについて相談を受けた時だった。
女性ライバーには主に男性の、男性ライバーには主として女性の、いわゆる「ガチ恋リスナー」というものが付きやすかったりする。幸い、ボォクの元にはそういったリスナーは居なかったのだが、彼は引き寄せてしまったらしい。
仲の良いリスナーだと彼は思っていたのが、お相手は本気で交際を考えている……。
相談のとき、彼は「なんとか相手を傷付けずに穏便に、ガチ恋を辞めてもらいたい」と言っていた。かれのなかには、その人と楽しく過ごした時間が大切に残っていたのだろう。
たいてい、厄介なリスナーは厄介事を運んでくるし、生み出す。だから、そういう兆しがあった時点で、ライバーから厳しめの注意があるか、人によっては即ブロックで対処することもある。
ああ、この人はリスナーを「数」じゃなくて、ちゃんと「人」として見てるんだな、と思った。
断っておくが、厄介リスナーを即切らない人が皆良い人で、正しいと言いたい訳ではない。
そういうリスナーを野放しにすれば、自分の配信の治安が悪くなり、古参リスナーが寄り付かなくなる。
デメリットしかない手段なのである。
しかし、このデメリットを知ってか知らずか、彼は件のリスナーを切らず、その上、傷付けまいと悩んでいる。
すっかり夜は深くなっているというのに。
私はその心意気に感銘を受けて、
「ガチ恋は募集してないよって、配信で言ってみたら? その後で、その人がどういう行動をするかじゃないかな」
というようなことを言った。
その後、そのリスナーとの件は一応の落着を見せ、ボォクはメンタル的に酷く落ち込んで、長い休止期間に入っていた。
休止のあたりから、実家の経済が火を吹いていた。いや、元々ボヤ程度にはなっていたのが、とうとう火柱を上げだしたのだ。その火力に、私のか弱いメンタルは粉砕されてしまったのだった。
穀潰しが、ひたすらタバコを吸うだけの引きこもりになっていた。仏間兼自室は、壁がみるみる真っ黄色になっていた。
そんな折、彼から生存確認のメッセージがはいった。
話し相手に飢えていた私は、即座に返信し、深夜になると毎日のように通話した。
ずいぶん立ち入った話もしたし、前回抜粋したメッセージのような低レベルな会話もした。
立ち入った話にも2種類あった。ひとつは人生観や思想の話、もうひとつはえげつない性癖の話。
哲学とシモとネットミームをせわしなく反復横跳びしながら、夜は更けていった。
ある日の私は、ひどく悲観的で、よく泣いた。
私は情緒がめちゃくちゃになると、涙が止まらなくなることがよくあった。
そんな日は、鼻水と涙で顔をよごしながら、彼の退勤報告を待った。
一方で、ある日の私はよく笑った。
躁転すると、全てが魂をヒリつかせるスパイスのように感じられて、とにかく愉快になる。
そんな日は、ゲラゲラ笑いながら、彼と空が白むまで話した。
こんなに不安定な私を、彼はなぜ迎え入れてくれたのか、いまだに不思議だ。スゲーよ、お前。
親戚の家から帰ったあと、一連の出来事を彼に話すと、彼は憤りをあらわにした。
「そんなんやったら、こっち来たら?」
と、メッセージをくれたのだ。
この段階で、本当に会いに行くとも、会いに来るとも思わないだろう。普通は。
しかし、私は普通ではないので、弘前での餞別のあと、
「明日そっち行くわ」
と、返信したのだった。
彼はたいそう驚いたことだろう。まさか本気にするとは、思わないだろう。
しかし、京都駅で初めて顔をあわせたとき、彼は「お前さんなら、来ると思ったよ」と言った。
それに私も、「この人は本当に来ると思っているだろうし、迎えにも来るに違いない」という、謎の確信があった。
そんなワケで、誰に話しても、「そんなバカな」と言われてしまうような馴れ初めが完成してしまったのである。
2023年8月25日に、私と彼は京都駅で出会った。彼と一晩過ごした私は、「この人と結婚しなかったら、生まれてきたことを呪ったまま死ぬだろう」と直感して、今に至るのである。