映画「ベイビーブローカー」を観てきた


良質な芸術作品を前にした時、芸術を言葉で説明しようなどという行為はこれ程まで愚かしいものだったのかと再確認する感じですね!!!

とか言いながらあえて感想を書いてみる。
赤ちゃんポスト(baby box)に赤ちゃんを捨てる親と、それを利用したベイビーブローカー(児童売買人)が出会ってしまい、売買の過程を通じて改めて感じる命の大切さ。
その過程で繋がる心が作り出す、型にはまらない家族の愛が描かれる。
そんなストーリー?と感じました。

ぼくが昨今、日記で書いてることと通底するテーマの映画をたまたま見てしまいました。
「盗人にも5分の理(ごぶのり)がある」「100%の悪者なんていない」みたいな話が含まれます。

赤ちゃんを赤ちゃんポストに捨てる側にも、本当に止むに止まれぬ事情がある。
かといって、捨てられた子供はやっぱり「自分の命は望まれて生まれたものじゃないのではないか」という疑問がどうしても生じてしまう。
一般に見聞きするような、そして劇中でも使われていた「捨てるなら生まなければいいのに」という言葉。
それは捨てた側も百も承知。だから捨てた側にも、「捨ててしまったという傷」が残る。

ある一面としては、捨てた側の心の再生を描く物語でもあり、
また捨てられた側の心の再生を描いている一面もあるんじゃないかと感じました。

そういう、「自分の命は望まれて生まれたものじゃないのではないか」といった疑問は、性的少数者も似た形で持ちうるものですよね。
例えば「自分は社会に必要とされているのか」といった形で。
普通に政治家から、生産性がないだの、国が亡ぶだの、おかしいだのリアルタイムで言われたりしてますからね。
一応みんな理屈では「そんなことない」と考える事はできる。
でもこういう、ある種の自己肯定感みたいなものは、理屈で腹落ちするものじゃない。
しかもこう、日常的にヘイトをまき散らされていると尚更。宗教的な理由で悪いこととされている事もある。
だから、魂のレベルで「自分はここにいていいんだ」って思えるのは意外と難しいんじゃないかと思う。なんかスピリチュアルな言葉を使ってみた。

そのためにはベイビーブローカー同様、自分を肯定するためには、やっぱり何らかの形で人との繋がりが必要なんじゃないかと思う。

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