なりたい自分になる、あるいは自身の律し方と意志の持つ力

またまた、インター・ミッションですが、悪気はないのでご容赦ください。

この間連続投稿した時に、お褒めのメッセージが出た。ということで、褒められると嬉しいので(滅多にないことなので)、ちょっと憚られるような気もするけれど調子に乗って今日も投稿をと思って、さて何から書こうかと考えた。で、結局、前回の村上つながりで。

僕は村上春樹の小説は(とわざわざ書くのは、ちょうど同じ時期にデビューしたもう一人の小説家、村上龍がいたから、たぶん当時はこちらが人気だったかも)、デビュー当時からずっと好きだったのですが、ある時期を境にして読まなくなった(というか、読めなくなった)のです。

情緒的な傾向、そうしたものが勝ち過ぎて、普遍的なものに向かおうとする性質が希薄のような気がしたのだと思います。でも、それは自身の誤解によるせいかもという気がしてきたのです。

初期の作品は、ちょっと言い過ぎかもしれないのだけれど、普遍性よりも彼自身の気分を大事にすること(すなわち、個別性)が主な関心事だったのではあるまいか。でも、強弁すれば個別性は具体性と言えないこともない気がしてきた。とすれば、あながち、このサイトのテーマとまったく無関係ではないのではあるまいか。さらに言うなら、それがやがて普遍性について考えることにつながるのかもしれない。そういえば、Y氏は「映画も小説も表現者自身の投影でないと面白い物にならない」と書いていたぞ。

当時の小説は、その個別性が大事にされているようで、それば僕の気分にぴったり合った。ビーチボーイズが好きだったというその一方でチャンドラーやフィッツジェラルド等のアメリカ文学に親近感を覚えていたということも、韜晦じゃないとすれば、自身のありようの裏返し、若いからこその自身の気持ちを持て余すことがあったのではあるまいか。軽やかさにシンパシーを覚えるのと同時に、大人らしさに憧れる。そして、なんとかそういう自分をやり過ごし、開放して、自由になりたい、なれればいいと願っていた時の気持ち、あるいは書いた当時の気分そのもののではないか、という気がしたのです(気分の話しばかりで、御免なさい。ただ、それは青春に別れを告げなければいけない時期に直面していたせいではあるまいか)。

僕自身は、当然のことながらそうした彼の書くものにシンパシーを抱いていたのです。

ま、これはどうでもいいとして……。

でもいつか、そうした情緒性が過剰なような気がして彼の小説を読まなくなって久しいのですが、この頃はまた読んでみようという気分なのです(またしても、軽い言い方だけれど)。彼の小説家としての過去と現在を比較すると、本当にすごいなあと思わざるを得ない。読ませる力、ストーリー・テラーとしての力量。そして、現実では明らかにあり得ない場面を紡ぎながら読ませてしまう、フィクションとしての物語をつくる能力(ますます磨きが掛かっているらしい)。これはほんとうに大したものだと思うのです。

しかし、それらを生み出すための彼の日々の営み、自分の律し方はもっとすごかった。我々が知ることのできる彼は、肩肘張らないというか、軽やか、自然体のように見えるけれど、とんでもなかった*。自分を制御して、なりたい自分に近づこうとする意志の強さ、に圧倒されたのでした。「当たり前でしょ(比べないで)と言われることは重々承知で言えば、彼と我の断然の差を思い知るのです。

抽象的性格を持ったような、まだ具体的なイメージとなる前の思いを具現化しようとする強い意志があるのかどうか、ということこそが分かれ目(言うまでもなく、村上春樹には、それがあった)。ま、当たり前ですね。安藤忠雄の場合も、似ているところがありそうです(好き嫌いとは別にして)。そして、僕の親世代とそれより上の人たちの多くも含めてもいいかもしれません)。

なりたい自分になった人となれなかった人の差は、能力の差というのは一方の事実だとしても、それ以前にその思いにどれだけ忠実に努力することができるかということにあるのではないかという気がするのです。

何者かになることを願っている若い諸君は、「職業としての小説家」*を読むといいのではあるまいか。

さて、かくいう僕は、何から読み始めればいいのかしらん(何でもいいから、さっさと読みなさいという声が聞こえた気がしますが……)。

ところで、今年は恒例になった感のあるハルキ・ムラカミを巡るノーベル文学賞の話題がありませんが、これは選考委員会のスキャンダルのせいで今年は選考が見送られたということらしいです。これに変わる今年限りの賞が発表されたようですが、受賞者はカリブの女性作家ということです。

追記:この間ハートマークの意味は教えてもらっていたのですが、ある時誰がクリックしたかの表示を見た気がして、少し前に思わずクリックしたら恥ずかしながら自分がハートマークしたことになってしまいました(こちらも悪気はなかったのです)。

*「職業としての小説家」2016年9月、新潮文庫、新潮社

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