10遍に1回くらい

というのは、数学者の森毅が覗きに行っていたという研究会での大学の先輩だった物理学者の湯川秀樹(いわずとしれた日本人初のノーベル賞受賞者ですね)の様子(まったく正確ではありませんが)。つまり湯川はいろいろな発表に対しよく発言するのだけれど、残念ながらたいてい的外れ。しかしたまに、誰も思いつかないようなすばらしいことを言った、というのです。

ちょっと文脈から外れるかもしれません(というか、確実に外れそうなのですが……)。長い話しの間に挟まれるインター・ミッション(幕間)、ということで勘弁してください。

「10遍に……」は、(正確でないとしても)大いに励みになる言葉だと思うのです。湯川はごくたまにしかいいことを言わない。ふだんは発言しても歯牙にもかけられない。それでも彼はそれにめげずに発言し続けて、時に宝石のような意見を差し出した。天才というのか、とにかく傑物だった彼でさえそうなのだから、いわんや凡人にとってをや。

僕はこれを知ったおかげでずいぶんと楽になった。そして、思ったことを発言することができるようになった気がするのです(人並み以上に鈍重な僕は、湯川の何倍も的外れのことを言っているのに違いないし、おまけに、たまに当たりそうな時だってせいぜい川辺の石ころ程度なのですが)。

何に書いてあったか、確かめようとすればできるかもしれません。しかし、あえて確かめずにおこうと思います。たとえ間違っていたとしても、このことの有効性は変わらない気がするから。

でも、これは聞き上手の人がいてこそです。自分の優位性を示したがる人の前では、難しいかもしれません。

もうひとつ、森毅はこんなことも言っていたと聞いたような気がする。

学生に、先生はいま何を研究されているのですかと聞かれて、「50を過ぎた教師にそういうことを聞くもんじゃない」と応じたというのです。

たぶんこれは、もはや凡庸な研究を続けるよりは学生と一緒に過ごしながら、自身が学んできた大切だと思う何かを伝えることのほうがはるかに意味がある、ということだろうと受け取って、僕はこれにすっかり甘えてしまいました(おまけに、このことさえもうまくできないことの方が多いのです。反省)。ま、ぼんやり暮らしてきた付けは必ずやってくるわけなのですが……。

ともあれ、若い諸君は自信がもてないことに臆せずに、発言し続けながら学修し、理解や自身の考えを深めていってほしいのです。大学という場所は、それが可能な場所に違いないのだから。(F)

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