シングルモルト・ウィスキー、またはゴールトベルク変奏曲

ゆっくりとしたテンポのアリアで始まったピーター・ゼルキンの「ゴールト・ベルク変奏曲」も、途中でややうるさく感じられたのでした。

この演奏について村上春樹は、「淡い闇の中の光りの隙間を細く繊細な指先でたどるピーター・ゼルキンの『ゴールト・ベルク変奏曲』を聴きたくなるような穏やかな宵には、かすかなブーケの香りが漂うブナハーブン*あたりを」と書いています。

なぜ、こんなことを覚えているかと言えば、なんのことはない、久しぶりにウィスキーを飲みたくなって、そのついでに『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』**を引っ張りだしたから。

ブナハーブンと言えば、スコッチ・ウィスキーの産地であるスコットランドの西に位置するちいさな島、アイラ島の名品であることはもちろんですが、決まって、『ウェスタリング・ホーム ~西の故郷へ~』を思い出します。アイルランドにも近くケルト、またはスコットランドらしいメロディが心にしみ入るようで、時々聴きたくなります。

よく言われるように、ケルトと日本のメロディが似ているせい?とすれば、形が似れば、心情も似てくるってことかしらん***。こうした歌を、たとえばスコットランド系で、いつのまにか古希を超えてぐっと渋さを増したロッド・スチュワートなんかが歌ったアルバムがあればいい、と思うのですが(アメリカのスタンダード曲をカバーしたアルバムを何枚も出しているのだから。それならば、ってことです)。

で、遅いテンポのピーター・ゼルキンの「ゴールト・ベルク」が途中で聴き辛くなったのは、なぜか。

やっぱり、自身が、安定または穏やかさを欠いているせいということかね。音楽に限らず、たいていのことは聞き手や受け取る側の心のありようを映す。たぶん、装い続けるのはむづかしいようです。

ゴールトベルクと言えば、なんといってもグレン・グールドの新旧の2つ、デビュー作と遺作の演奏が有名ですが、最後の遅いテンポの方はどうだったろうか。

グールドを出してきて、聴き直してみようかしらん……。

で、飲み、いや聴き直してみた(こういうことは労を惜しみません)。

思っていた以上に遅かった。最初の出だしは一音一音がかろうじてつながっているよう。晩年の(と言っても、比較的若くして死んでしまったから)、その音楽には余計に様々な思いが込められているような気がしたのです。

次の楽章は、テンポも速くくっきりと強いタッチであかるく振る舞っているけれど、でも不思議に、うるさく感じることはなかった。そして、時折また元に戻ってゆく。 僕にはこの遅いテンポのものがいまの気分にぴったり来るようでした。

たぶん、ゼルキンのものとの比較してというよりは、グールドの弾く中での音のつながりとバランスやコントラスト(すなわち相対関係)のせいのような気がしたのだけれど。もう少し理解するために、今度こそはきちんとピアノを習ってみようかしらん(それとも、もはや遅すぎるだろうか)。

ついでにもうひとつ。ボウモア蒸留所でウィスキーづくりに携わるマネージャーが言う、『僕がこの仕事を好きなのは、それがロマンチックな仕事だからだ』。すかさず、「はい」、と言いたい。そして、かくありたいと願うのです。

なんだか、note:FY+Wのテーマ(?)から離れて、どんどん遠くへと行くようですが、大丈夫なのか?おまけに、ちょっと支離滅裂の呈。心配。(F)

*ブナハーブンは、アイラ島の7つの蒸留所のつくるシングルモルト・ウィスキーのうち最も癖がないとされる。その反対は、アードベッグやラフロイグ。僕は中庸のボウモアをよく飲みました。それから、ちょっとだけヨード臭の癖が強いラガヴリンも好き。
**1992年12月、平凡社
***ロンドン留学で疲弊した漱石は、スコットランド民謡に慰められたらしいです。

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