テレヴィジョン嫌い
というタイトルは借り物で、しかも嘘になるかもしれないのだけれど(というか、正確ではない)。
本当は、テレビが嫌いというのではない、むしろ案外好きなような気がするのだ(うーむ)。『女たちよ!』の中で先のタイトルの文を書いた伊丹十三によれば、ニューヨークに事務所を構える美食家で太っちょの探偵ネロは、1分間だけつけたら満足そうに、すぐに消したらしい*。この他、武満徹や著者の友人たちテレヴィジョン嫌いの楽しみ方が記されている。僕は、それとは違うのだ(ちょっと残念)。
実家に帰ったらたいてい一人のことが多いので、結構テレビの前にいることも増える。これが、案外面白いのだね。こないだは、剣客商売の初期のシリーズをやっていた。藤田まことの秋山小兵衛も悪くないけれど、とりわけ大路恵美の三冬が初々しく溌剌としていてよかったな(その後のシリーズの寺島しのぶさんに含むところはないけれど、ちょっと貫禄がありすぎるような気がする)。
ところで、家にもテレビがないわけじゃなくて、ちゃんと置いてあります。これは、DVDを観るため(とくに、録画してもらったドキュメンタリーなんかは、スクリーンで見ようとすると、たいてい大きすぎるような気がするのだね。どうしてだろうか)。休みの日などの昼に、グラスを片手に、紀行や料理に関連したものを見るのが好きです。先日は、ハンバーグの起源を訪ねる番組を楽しんだ(もちろん、ビール付きで)。
ただ、何も映っていない黒い大きな画面は威張っているようで、ちょっと鬱陶しい。おまけに、夜、音楽を聴こうとすると、黒い画面に照明の光やら自身の姿やらが映りこんで、具合が悪い。で、カバーを兼ねて、絵を飾るための白い面をつくってみたのだが……(これはこれで、存在感がある。なかなか厄介です)。ついでに言えば、演習の際に学生たちが、居住スペースをまるでテレビを見るための部屋であるかのように計画することにもいつも驚かされる。
でも、僕自身は勤勉な性質ではないことは十分承知しているので、テレビ放送を見始めるようになったら、ずっと、ぼんやりと、見続けているのではないかと思って、ちょっと怖い気がして逡巡するのです(これが、テレビを遠ざけたい、一番の要因かも)。(F)
*「ネロ」シリーズは読んでいるはずなのに、すっかり忘れている(やれやれ)。このほか、伊丹の友人の一人はテレビ嫌いが昂じて、テレビを買い込み、これを黒板代わりとして、その上にダーマトグラフでメモを書き込んでいるというのだ(真似してみたい気もするのだけれど、さすがに過激な気がする。でも……)。